真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

誕生石はパールでね    山口みあき

 最近でこそ三十度を越える猛暑日はさほど珍らしい事ではないけれども当時としては驚く程暑い一日だった事を今も鮮明に覚えている。今から二十五年前の八月二十八日。私の二十才の誕生日。小学校入学直前に母を病気で失ってからというもの、父一人で私を育ててくれた。多分泣き続けて困らせてばかりだった私を会社の事務所に置かせてもらい働いてくれていたのだろう。昼どきになると事務所に戻ってくる多くの人達から食べ物や菓子をもらっていた記憶がある。小学校に入ってからも帰るのは事務所だった。父は私だけを見て生きていたような気がする。その真っすぐな視線からそれる事も私には出来かねていた。思春期の複雑な女の子の心や体の変化には事務員のお姉さんが敏感に対応してくれたおかげで辛い思いは少しもせずに成長していった。社長さんの温情で事務所で犬を飼ってくれていた。私の遊び相手として充分だった。私は片親ながら、たくさんの会社の人達に手をかけてもらって成長していった。高校を出るとすぐに就職を考えた私への周囲からのアドバイスは短大進学だった。皆の厚意に甘えながら事務所で書類整理や雑用の手伝いをして短大へ通った。事務所の中で一番若かった青年は何かにつけ手を差しのべてくれていた。私の心情が淡い恋に変化していくのも自身の中ではっきりわかっていた。ただ、父は私の将来に夢を見ていた。父が母を見て一瞬で心を奪われたのが銀行の窓口でスーツに身を包んだ若かりし母の笑顔だったという事は繰り返し聞かされていた。都市銀行の窓口嬢になって欲しいのだと体中で訴えているのもわかっていた。就職試験の一次が始まるのが残暑の頃、九月中旬の予定だった。そして、私の二十才の誕生日。夕食の仕度を終えて父の帰宅を待つ私に電話が鳴った。「ケーキ、要るかい?」高校生の頃迄は尋ねる事もなく箱を下げて帰宅していた父も、さすがに考えたのだろう。「要るよ。」笑いながら受話器をおいた。
  冷やしておいたビールびん、王缶をコンコンと栓ぬきでたたいて父は泡立つグラスを嬉しそうにながめていた。「本当に今日は暑いな。」扇風機の強風が泡を飛ばすいきおいで回っていた。ケーキの箱をのぞき込む私に父は白い小さな箱を手渡した。「何?」古い四角い箱の中から赤いベルベットの丸みをおびたケースが出てきた。「真珠の指輪じゃない!どうしたのこれ!」ケーキのクリームのメレンゲにも似た艶やかな大粒の真珠に私の驚いた瞳が反射していた。「細いかもしれないな。母さんのほうが細いきれいな指をしていたから。」父が銀行の窓口に通いつめ、つきまとい、今ならばさしずめストーカーで通報されかねない様な執念で妻にした母に贈った婚約指輪だった。「あの頃の母さんも二十才だった。」煙草の煙が眼にしみたふりをして眼をしばたいている父の横顔はどこを見ていたのだろうか。「おまえの手にあったほうがいいだろう。」二十年間この日の為に父は指輪を胸の奥にしまいこんでいたのだろう。鼻の奥がツーンと痛くなって、あわててケーキを取り出して切ってみた。「今晩わ。」玄関に事務所の例の彼が立っていた。「いえ、誕生日だと聞いたもので・・・。」後ろ手に隠す様に紙袋を下げていた。「なんだ!おまえがどうして来るんだ!娘を取って行こうなんて思っても無理だからな。もう俺が婚約指輪渡したところだから!」一瞬の間をおいて三人は押さえきれず笑いころげてしまった。
  父の夢はかなえられることなく私は銀行の入社試験に落ちてしまった。ただ、父からの真珠の指輪は作り直してもらい私の左手の薬指にぴったりおさまってしまっていた。「ずるいぞ、おまえは。金も何もありませんけどお嬢さんを幸せにする自信はあります、って。結局母さんの指輪が二代目に渡っただけかい?」「いえいえ、この素晴らしい指輪にまさる品物はありませんよ、お父さん。」彼の優しい人柄に父も私も魅かれていきました。「しかしこうして見ても、母さんの指のほうがずっと似合っていたなぁ。」軽口をたたく父でしたが本心、一番嬉しいのは父なんだという事は私にはわかっていた。内輪だけの式を挙げ、事務所の手伝いを続けながら父の住む実家とは目と鼻の先くらいにアパートを借りていた。
  翌年の六月最後の日。梅雨空にほんの少しだけ青空が見えた病院の窓ごしにツバメがせわしなく餌を取るために飛び続けていた。予定日より少し早目に産まれた娘たちを眼を丸くしてのぞき込む父と夫がいた。初めて授かった双子の娘達。小さな手をぎゅっと握りしめて小さいなりに精一杯生きようと頑張っている姿だと思った。「いっぺんに二人も産むなんて、母さんきっとびっくりしてるぞ。」「お父さん、また真珠が要るよ。六月の誕生石は真珠なのよ、忘れないでね。」「それは、こっちのパパの仕事じゃないか!」父は笑いながら夫の背中をたたいて言った。真赤な眼でベッドの上の三人をみつめながら夫が何度も何度も頷いていた。


(「パール・エッセイ集」の作品より)



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