真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

五十輪の薔薇の花束    中嶋 弥生

 昨年の七月六日のことだった。
 何時よりも早く帰宅した夫を出迎えると、荷物でも渡すような自然さで、花束を手渡して寄こした。
 一週間前に、親友が亡くなった。細々した小さな喜びや、心の痛みなど、女同士だからこそ分かちあえる大切なひとだった。すっかり気落ちして、昨日が五十回目の誕生日だったことも忘れていた。
 夫が、一日遅れの花束を持ち帰ってくれたのは、鬱々と過ごしている妻を、慰めたかったのだろう。
 赤が三十二輪。オフホワイトが十八輪。小さめできりりとした薔薇が、霞草に縁どられている。白いレースの襟で、ちょっとおすまし顔の女性のような花束だった。
「へえー、赤と白の薔薇って、ずいぶん可愛い感じになるのねぇー。花の数、私の年齢になってるんだー」
「スプレータイプだからね」
 夫は私とは力の入れどころが違っていて、こんな場合も淡々としている。
 私が誰かを励ますために、花束を選ぶとなれば、力み過ぎるから当然渡す際にも、
「こんなとき、爽やかな気分を貴女にと思って……」だの「元気が出そうなパワフルな花を集めてみました」など、余計なことを付け加え、無粋になってしまう。
 なるほどスプレータイプは、一本の花茎に五輪ほどの花が付く。十本で花数は五十輪。これは何かの折に使えそうなアイディアだ。
 洗面所で、花束を花瓶に挿している横に夫がやって来て、手を洗い始めた。精一杯さりげなく
「五十輪の薔薇とアイディアをありがとう」
と礼を言った。
「ほんとうは真珠をね……」
 意味が分からなかった。
「一粒でも、と思ってさ、見に行ったんだ」
「貴金属店へ行ったの?」
 夫は黙って頷いている。何時の間に?
「日曜日。高くてね、せめて八ミリは欲しいよな。今年は買えなかったけど、来年か、その次くらいにはね。小遣い貯めるからさ」
 毎月給料の振り込まれる通帳は、私が管理している。煙草代と彼が飼っているペットのための費用程度の小遣いでやっている夫。その枠の中で真珠を、となれば一粒であっても、かなり努力を要するはずだった。
 我が家は共働き、二人とも買い物好きだ。欲しいものができると、何時でも一緒に行く。リッチというほどではないけど、特別不満もなく暮らしていた。そんななかで、あえて少ない彼の小遣いで、真珠を買ってくれようというのである。
「ありがとう。楽しみにしているワ」
「これで、僕の煙草の量が減りそうだと思うと、嬉しいんでしょう」
夫はちょっと、いたずらっぽい眼をして微笑んだ。

 今年の四月、急性心不全で夫は突然逝ってしまった。必死に呼びつづけける私の声も、彼の意識には届かなかった。
 私たちには子どもはいない。ひとりになってからの半年ほどを、仕事にも出ず何をしていたのか覚えていない。
 今朝、秋風の匂いを感じて、夫の誕生日の十月になったと気づいた。
 いつもなら、夫へのプレゼントを考える小さな楽しみがあった時期なのに、とたまらなく寂しくなって、声を上げて泣いていると、
「ほんとうは真珠をね……」
夫の声が聞こえたような気がした。
 なぜ、真珠を私に与えたかったのだろう。
 イミテーションのアクセサリーは、沢山持っているけれど、本物は夫からもらった婚約指輪のルビーだけ。ジュエリーには興味がなかった。
 なぜ、あのとき『真珠を……』、と思ってくれたのだろう。手に入れたら、夫の気持ちが分かるのだろうか、と考えた。すると無性に真珠が欲しくなってきた、
 泣いてばかりいる日々を送っていることを、知ったら、夫はきっと切なく思うだろう。
 こんなことをしていてはいけない。来年の七月、まず真珠を手に入れてみよう。
 洗面所へ行き、ごしごし顔を洗い、久しぶりに乳液を塗った。仏壇の前に座って
「私、頑張ってみるわ。次の誕生日に、真珠を自分にプレゼントするために。だから、あなた見ててね」
 顔をあげたら、呼吸が少し楽になった。
「さぁ、まず朝ごはんを食べなくちゃ。お仕事始めなけりゃ、真珠は手に入らないんだからねっ!」
と、今度は自分に向けて声を出して言い、弾みをつけて立ち上がった。


(「パール・エッセイ集」の作品より)



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