真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

しあわせ探し    千葉 鈴香

「あれさえ見つかれば、いまの私はしあわせなのに・・・・・・」
  母は言葉と共に、ため息をつく。
  私は、母のそばでまたかと思う。
  母の何度目かのため息に
「仕方ないやろ。お母さんの不注意で失くしてしもたんやから」
  私の少しきつい口調に、母は首を垂れた。
  母に言わせれば、いま不幸の真只中にいるらしい。一年ほど前に大切な真珠のネックレスを失くしてから、気持ちが晴れないという。私も母がこのネックレスを大事そうに拭いている姿を何度も目にしている。
  私は稼業を継ぐために婿養子をとって母と同居していた。
  もうずいぶん二人で机の引き出しや、戸棚、布団までひっくり返して探したが、まだ見つかっていない。半年ほど前には隣市に嫁いだ妹まで呼んで家捜ししたが、見つからなかった。母の「あれさえあれば今の私はしあわせなのに」はもう口癖になっている。
  母は違うと言うが、親戚の葬式に真珠のネックレスを付けて行き、そのときに鎖が外れて落としたのだと、私は思っている。
  母は顔を上げた。
「最近、代わりに淡水真珠をしてるけど何となく首の周りが淋しいよ」
  と目をしばたたいた。
「もういい加減にしてよ。辛気くさい」。妹も私も、この話題になるとうんざりしていた。
「だってあれはお父さんからのプレゼントなんやき・・・・・・」
  父は、肝臓を病んで入退院の末に他界していた。筑豊の川筋気質の男で気象が荒く、妻や子に平気で手を上げていたのだ。その父が亡くなる少し前に初めて母に買ってくれたのが真珠のネックレスである。結局それが形見になってしまった。献身的に看病した母にお礼のつもりだったのだろう。
  しょんぼりしている母を見るとやはり可哀相になってくる。
「ねえ、淑子も呼んでもう一度だけ徹底的にしてみようか。お母さんの幸せ探しをね」私は元気よく言った。
  三日後、妹の淑子を呼んで捜索が始まった。しかし何度も探した家の中である。机や仏壇の引き出しから、タンスやドレッサーまで動かしてその隙間も徹底的に調べた。二時間もするとみんな疲れて一服することになった。
「私しゃ、諦めたばい。あんただちに騒動かけて悪かったね」
  母が変にさばさばした声を出した。
「えー?もういいん?」
妹の淑子が驚いて目を瞠った。
「ここまでしてもらって気が済んだよ。ありがとう。」
  本当にいいの?と念を押す私達に母は湯呑みを置いてきっぱりと言った。
「川筋の女は諦めが肝心ばい」
  それでネックレスの捜索は打ち切られた。私と淑子は、今度の母の日に二人でお金を出し合って新しい真珠を買ってあげようと約束した。
  ひと月後、母の真珠が意外なところから出て来た。
  京都に住んでいる叔母から電話があり、真珠のネックレスがバックの中に入っていたと連絡が入った。
「そうやった。葬式の時外に出たら雨がひどく降っていたので、濡らすといけないと思って真珠を文江の大きなバックに入れてもらったんだよ。わたしのバッグは小さくてマチがきついから真珠を傷つけそうでね・・・・・・すっかり忘れていたよ」
  母は照れ臭そうに笑った。

 それから三年後、母は胆嚢がんであっけなくこの世を去った。
  寂しさに慣れたころ、淑子と二人で遺品を整理した。
  母の日が巡ってくるたびに、私は形見になった真珠を取り出して付けてみる。
  真珠は静謐な輝きで優しく首を飾る。
「お母さん、この真珠、一生大切にするからね」
  鏡の中に向かって呟きながら、しあわせ探しをした日々を愉快に懐かしく、思い出している。


(「パール・エッセイ集」の作品より)



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