真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

人魚姫になること  佐藤登貴子

 ・・人魚姫になること・・
  それが私の幼い頃の夢だった。長い髪を水にゆらゆらと揺らして、海の中で魚たちとたわむれる。髪飾りは海の花・・海の花が何なのかも考えず、ただそう思っていた。
  その頃の私は、家の奥の部屋にひっそりと置かれている母の鏡台が好きだった。少し湿った匂いのする部屋の隅の鏡台の前に座り、私はいつも空想の世界を泳いでいた。
  鏡台の一番上の引き出しの隅には、一粒だけ真珠がついたネックレスがまるで隠れるようにしてひっそりと横たわっていた。その一粒の真珠は、薄暗い光の中でかすかな光を放ち、そこだけ明かりが灯ったように見えた。私は回りに誰もいないのを確かめると、そっとそれを首に掛け、洗濯したばかりのシーツを体に巻いて立ち上がり、インスタントの人魚姫になるのだった。
  スキューバダイビングを始めようと思ったきっかけは、故郷の海中公園のテーブル珊瑚に魅せられたからだった。しかし初めて海中に沈み、海の林に身を投じた時、幼い日の夢を思い出した。機材に身を包まれ少し身重の人魚だが、たしかに私は波に揺られながら、群れなす魚たちの間をゆっくりと泳いでいたのである。
  ・・髪飾りの花は・・
  ショットカットのくせに、そんなことを考えながら、水中から天を仰いだ。頭の上には太陽が小さな光となって浪間に散り、いくつものきらめきを作っていた。私はそのやさしい光がみょうに懐かしく思えた。
「水中から見た太陽っていいよな。」
ダイビング仲間の彼がそう言った時、かすかな驚きと同時に同じ感覚を共有する者を発見した喜びを感じた。それから私たちは何度も海に潜り、何度も水中の太陽を眺めた。海の花はこの太陽のようにおだやかで、やさしくなければならない。そう私は思った。
  彼と生きていきたいと母に告げた時、母が私の前に古びたネックレスを差し出した。一粒の真珠。私の中にあの鏡台の回りのぼんやりとした風景がよみがえってくる。
「お前に何も上げられるものがないから。」
母はそう言うと、ごつごつした手で私の首にネックレスをかけてくれた。
「母さんの大事にしてたものじゃない。」
思わず振り向いて私は言った。
  そのネックレスは、農家に嫁ぎおしゃれには無縁だった母の、唯一のジュエリーだったことを私はとうに気づいていた。母のたまの外出の時、それは彼女の首にかけられ清楚な光を放っていた。そして私はそんな母の姿を見るのが好きだった。だから私はそのネックレスがどんな高価な宝石よりも輝いて見えたし、自分が美しいものに変身できる力をもっているのだと思っていたのである。
  秋の海の中で柔らかな太陽がゆらゆらと揺れていた。私はゆっくりと海面にむかった。懐かしい光が私を包み込む。私は幼い日の夢の中に入り込んでいった。母の真珠がぼんやりと光を放っている。
  ・・海の花って・・
「人魚の髪飾りは真珠しかないね。」
浪間を漂いながら私はそうつぶやいた。
「何のこと言ってんだよ。」
パディ(水中の相棒)の彼が不思議そうな顔をして私を見た。
「エンゲージリングはパールにしようって言ったの。」
私は彼に向かって大声で叫んだ。彼の長い手が大きな丸を作った。
  その年の冬、私はマーメイドスタイルの白いドレスを着て彼のもとに嫁いだ。胸元には母の気持ちを載せたあの一粒真珠のネックレスが優しく光っていた。
  そして今・・・
  我が家の北向きの部屋の片隅にはチョコレート色のドレッサーが静かにたたずんでいる。そして一番上の引き出しの奥にあのネックレスがひっそりを息づいている。
  三才になろうとしている娘はどんな夢を持ち生きていくのだろう。
彼女は鏡台の前に座り、何を見つめるのだろうか。ネックレスを見ながら、新しい母は色々と思い巡らすのである。


(「パール・エッセイ集」の作品より)



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