真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

母のネックレス  今西祐子


「お母さん、授業参観は綺麗にしてきてね」
隣家の玄関で一年生の男の子が叫んでいます。
「はぁい、新しいワンピースでいくわ」
と弾んだ若いお母さんの高音が響きます。
「うん、あれならいいや」
子どものうれしそうな声がモクセイの香りのなかにはじけます。
  こんな光景が私にもありました。もう数十年も前の話、あの時の母は、度の強い眼鏡をかけていつもくもり空のような服を着てくたびれはてていました。きっと、戦後のどさくさで衣食の調達やらで大変だったのでしょう。そんなことは子どもの私には無関係。
「母さん、今度の授業参観にはきれいにしてきてね。みんなお洒落してくるんだよ」と何日も前からプレッシャーをかけました。
  当日の朝、登校しようとする私の耳元で
「あんたの真珠のネックレスかして」
と母の声。「ええっ」だってぇ……と私は言葉を呑みました。それは九州の祖父が誕生日に買ってくれたもの、ピカピカ光ってそれはそれは綺麗。でも子ども用の人造の贋物。それに年中友達に自慢して、宝石箱から出したり入れたり頻繁にしていたのでパールがところどころはげている代物でした。
「あれでいいの?いいよ、かしてやる」
真顔の母の勢いにおされて私は承知しました。
  授業参観は四時間目。小綺麗にした母親達が教室の後ろにズラリと並び、とっておきの澄まし顔で我が子を中心に目線を泳がせていました。子ども達は母親の姿をちらりちらりと振り返り探しました。目があって思わず手をふりあう親子もいます。先生も今日は、怒りませんから大胆です。私も母の姿を探しました。しかし、みんな揃ったという時間になっても、母の姿は見あたりません。何かあったのだろうか。そんな不安を感じながらも、母がこないことなど考えられず、見落としたかもしれないと、すっかり後ろ向きになると端の方から、一人一人の顔を確かめ始めました。そして先生の教壇に真向かう中央に立ってる女の人に私の視線は急停車したのです。
「お・か・あ・さ・ん」
私は目を丸くして思わずつぶやきました。
  薄いピンクのワンピース。眼鏡をはずした顔には、口紅までひいています。それに私のパールのネックレス。一番綺麗でした。
  私は誇らしい気持ちになって、背をしゃんと伸ばして授業を受けました。当てられた時もいつもより声を大きくはっきりと答えたように思います。
  薄いピンクのワンピースは、着物を解いて夜なべしてつくったのだそうです。また眼鏡をはずしていたので、私のことはよく見えなかったそうです。
「私、おかあさんじゃないと思った」
夕食の時、父に昼間の話をしてやると
「お母さんは、町一番の別嬪さんだったもの」といって嬉しそうに晩酌の杯を母にわたしました。
  今思うと、二人はまだ若かったのです。年老いて七十路の道を仲良く歩んでいますが、あの時は五月の風色のようなパールの似合う輝ける年だったのです。
  あのパールは、今ここにありません。あれからしばらくしての冬の日のこと、確か二月二日、節分の前の日、家に泥棒が入ったのです。学校から帰ると警察の人が来ていて、乱雑にちらかった茶の間で母と話していました。
「何をとられたか、調べて確認して下さい」
  今の泥棒さんは、現金や貴金属しか盗っていかないといいますが、あの頃は物不足の時代、母の口から、今では想像もできないものが飛び出してきました。
「急須、お父さんの背広、丹前、かいまき、ゆたんぽ、すりばち、魔法瓶……」
  それから、母は動転した気分を落ち着けるように、私の手を握って
「それから、祐子のパールのネックレス」とつけくわえました。警察の人のペンが一瞬止まって、低い声がききました。
「時価いくら位のですか、奥さん」
「さあっ、この子の祖父が買ってくれたもので、大事なものですから、高価なものです」母はきっぱりいって、私の髪を撫でました。
「そうですか、一番の被害はパールのネックレスということですね」
  あれから、その時季になるとよく思い出して、笑い話のひとつになっていますが、私の心の中の真珠はいまや人造の光沢から本物の輝きを持って、星霜の移ろいを見つめているのです。
…かあさん、ほんものの真珠のネックレス近く贈りますね……。

(「パール・エッセイ集」の作品より)








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