真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

真珠物語  田中隆司


 出発前だというのに、またケンカだ。私は息子の心の傷を少しでも癒してやろうと、彼を海に連れて行く矢先のことである。
「いい!よく聞いてちょうだい。あなたが言い出した事よ。受験させてくれ、ってね。私立中学校を五つも受けたら、それだけで十五万よ。自分の実力というものを自覚しなさい」
「だって僕、お姉ちゃんよりうんとたくさん勉強したよ。それなのに、お姉ちゃんだけいい大学へ入って、僕くやしいよ」
「勉強したのなら、あんな答出るはずないでしょ?(徳川時代、金品を利用して地位を築いた人は誰か)(答・ぜにがた へいじ)ああ、もう信じられない。お父さんもお母さんも、何も言わなかったけれど、力不足を承知の上で受験させてくれたと思うの。高望みばかりしてると、高校受験もまた失敗するわよ」
「お姉ちゃんは、要領だけで合格したくせに」
「要領も実力の内よ。愚鈍な子は、人の何倍勉強しても駄目よ。くやしかったら三年後に、要領悪くても、実力で合格しましたってえばってごらんなさい!」
  たとえ本当に愚鈍であったにしても、性格が大きければそれはそれでいい。何も傷心の子に、そんなきつい事を言わなくても、と思ったが、彼の受験が総て失敗に終わった日の夜、彼女は「かわいそうに」と涙を流した。
「でもね、お父さん、慰めは長い目で見た場合、かえって残酷だと思うの」とも言っていた。
  息子は、列車の中まですねていた。カーテンを閉じたまま向こうを向いていたのだ。
  海を見に行ったというのに、彼は海をちらっと見ただけで、あとはゲームセンターを探し始めた。
「一年間我慢してたんだ。受験生だったもんね。お正月のお年玉も使えなかったしね」
「ほほう。で、いくらあったんだい」彼は、小さなリュックを肩からはずすと、中からお年玉袋を取り出してみせた。そして、
「五千円ずつ六つだよ、三万円!お父さんより金持ちだね」
と、明るく笑った。
  とは言うものの、実際には自分の小使いなぞ全く使わず、私の財布から、百円玉を次から次へとゲーム機につぎ込んだ。「おいおい、さっき、お金たくさんもっているって言ったじゃあないか」
「ああ、あれね、あれはこれからあとの一年分なの」
  まあいいか、思いきりやらせてやろうと思った。しかし、ゲームのへたさかげんはどうだ!目も当てられない。どじってばかりで、またたく間にゲームオーバーである。 彼の後姿を見ながら、私は、娘が言った言葉を思い出していた。
〈この子は愚鈍で、しかも、小者だったのか?〉言いようのない不安が襲っていた。
  帰りがけの事だ。駅の近くで、彼はパンをかじりながら、
「ねえ、お土産買おうよ」
と、比較的大きな土産物店を指さした。「これがいいや」と、彼が持って来たのは、赤いひれがバラの花びらに似た、大きなカサゴの図柄のコーヒーカップだ。
「それは誰へのお土産だい?」
と尋ねると、
「決まってるさ、僕のだよ」
と、自分を指さして嬉しそうだ。
  妻への土産として、三千円もする真珠のブローチを買って、支払っていると、「それを見せて下さい」と言う、息子の声が聞こえてきた。本物の宝石がはいっているショーケースを指し示しているではないか。
  女店員さんから渡された小箱を私に見せながら、彼は
「これ、お姉ちゃんに似合うかなあ」
とつぶやいた。
「そりゃ似合うだろうさ。だけどね、三万円って書いてあるぞ」
私は、もう残り少ない財布の中身の事を心配した。
「これをください」
私の心配なぞそっちのけで、彼はその箱を店員さんに渡した。
「お坊ちゃまは、見る目がおありですわね」
私が意見をさしはさむ間もなく、彼女はそう言いながら、小箱を包み終えた。
「お父さん、背中のリュックからお金を出して!」
「?」
「はやく」
「え?君のお金……。いいのかい?」
「いいんだ、もう……。」
私は六つの袋を取り出し、全部彼に渡した。そして、そのまま彼は、店員さんに差し出した。
  帰りの列車の窓は、もうすっかり暗くなっていた。息子は、真珠の指輪が込められている小箱を持ったまま眠ってしまった。
  今度は私の方が、いじけたようにカーテンを閉じた。受験の事などで、息子の事を小者ではないかと疑った自分が、そこに写っていたからである。

(「パール・エッセイ集」の作品より)








愛媛県漁協 本所 真珠課 愛媛県漁協 本所 真珠課
〒790-0002 愛媛県松山市二番町四丁目6番地2
TEL:089-933-5117 FAX:089-921-3964
フリーダイヤル:0120-42-5130
E-mail:m-shinju@ehimegyoren.or.jp

愛媛県水産会館