真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

父のおみやげ      加藤京子


 受話器を取ると、母からの久しぶりの電話だった。「京子、お前に言ってもどうせ来てくれない事はわかってるんだけど、それでも一度は話さなくちゃと思ってね。父ちゃん、ガンだって言われて、もう手術したんだ。胃も声帯も取る手術して、もうしゃべれないんだ。それでも、元気になると思って手術したんだけど、全然ダメで、集中治療室から十日経っても出られないんだ。来るも来ないも、お前が決めればいいが、会うんだったら、今しかないと思って電話したんだ」 父と私は絶縁状態といってよかった。その出発点は、私が小学六年の時にさかのぼる。 問屋さんからの招待で、父が四国に旅行する事になった。我が家は食料品の店をしており、元日さえ店を開ける年中無休。ゆえに、近くの公園さえ、親といっしょに行った事はなく、旅行なんて、夢のまた夢。夏休みに家族旅行をしたという同級生の話を、いつも私は、うらやましくも、淋しく聞いていた。「旅行」という言葉は、我が家の死語だった。ところが、たとえ父一人でも、「旅行」することが、私は我が事のようにうれしくてたまらない。小六の私は、親せきや近所、同級生みんなに胸を張って言ったものだ。
「お父さんが今度、四国へ旅行に行くの!」
「うわぁ、いいわね。おみやげが楽しみだね」 
  私は、異口同音に言われるのが常だった。
「お父さん、おみやげ買って来てね」
私は父の後を追って、そう言うようになった。
「近所や親せきには買って来なくちゃならないけど、ウチの子には買って来ることはない」
そう茶々を入れるのは、かたわらにいる祖母だ。が、私は気にせず、ひたすら父に言う。
「ね、頼むね。私は行けないんだから。お父さんも初めて旅行するんだし、おみやげね」
「うるさいなァ。じゃ、店の手伝いをよくすれば、だ」
「え?本当?わかった」
父の旅行はだいぶ前からわかっていたので、何カ月もの間、アルバイトのようによく働いた。学校から帰り、テレビも見ずに、夜遅くまで父の配達の手伝いをしたのは、四国旅行のみやげを手に入れるためだ。 そして出発前夜。私は父に念を押す。「ちゃんと手伝ったんだから、忘れないでね」「うるさい事を言うと買ってこない!」私は父を信用し、押し黙るしかなかった。 ところが、その五日後に帰ってきた父の旅行カバンの中から、私のみやげは出てこなかった。
「ねェ、私へのおみやげは?」
「お前にはないよ!」
そう吐き捨てたのは祖母だった。
「だったら、店、手伝えば買ってくるなんて言わなきゃ良かった。あんなに働かせて、バイト代払ってよ!」
  私は父に向かって言っているのに、父は下を向き、母は横を向いている。言い返すのは祖母。
「子どもが親の手伝いをするのは当然だ。親に金をよこせとは、何て子だい!修はちっともほしがらないのに、お前は欲が深いねッ!」
  修とは私の弟だが、まだ六才だ。当時の私の半分の年令で、同じ欲望であるはずないだろ。
  それはそのまま、一件落着するかにみえた。が、そうはいかなかった。しばらくしたある日、私は親せきの家へ遊びに行った。そこには、私と同じ年令のイトコの幸子がいる。「ほら、コレ、京子ちゃんちのおじさんからもらったんだ。京子ちゃんは何をもらったの?」彼女はそう言って目を輝かせ、父の四国旅行のみやげだという真珠のネックレスを見せた。私は、「私には何もなかった」とは言えず、
「大したもんじゃないよ」
と答えるのがやっとだった。それにしても、そのネックレスをひきちぎりたい衝動にかられた。 その後、父子の家庭内絶縁の状態はずっと続いた。私が北海道に嫁いでからは、一度も実家へは帰っていなかった。
  父の母、つまり私の祖母に一つも言い返せず、いつも祖母の言いなりで、一生に一度の旅行でさえ、娘に一つのみやげを買えない父をずっと軽べつし、嫌悪していた。が、何年かぶりで私は実家へ行き、母と病院へ行った。
  父は、集中治療室にいるため面会は五分だ。父は酸素マスクをして横たわり、目をつむっていた。ガンだから意識はあるだろうが、声帯を取っているので話もできず、私が手をさわっても、さわり返す体力もない。一つのみやげも、一つのいい思い出も残さず、このまま永遠の別れをするのか……と思った時、父は目を開けて私を見た。すると、みるみる間に目に涙がふくらんで、一粒の涙ができた。私は、はっ、と胸を突かれた。それは、小六の時に見せられた真珠のようだった。父は私に、最後に、真珠のような一粒の涙を残してくれたのだ。
  その後、意識不明となり、数日後に亡くなったが、父が私にたった一つ残した一粒の涙は、一粒の真珠として、私の中で輝いている。

(「パール・エッセイ集Vol.3」の作品より)








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