真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

義母のネックレス      中西厚子


 私はいつの間にかオールドミスになっていました。後輩たちは結婚のため退社していきましたが、私には縁談の話がなく内心穏やかではありませんでした。ところが、ひょんな事から隣の会社で働いていた主人と交際するようになりました。彼は、京都の峰山出身で製図を描くことを仕事としていました。交際を始めて半年余り経過した四月の始め、
「俺の母に会ってくれへんか?」
彼は突然私に言いました。
「両親と相談してからやないと…」
と、私がためらうと
「宿も取るから、ぜひ来てや!」
  彼の強引さに負けた私は、承諾してしまいました。帰宅して両親に相談しましたら、父から『世の中のしきたりも知らない若造が』と罵倒されましたが、母の助言もあってしぶしぶ承諾してくれました。しかし、承諾してくれた父の顔は、怒りのためか赤くなっていました。
  週末に行った峰山は、山々に囲まれた盆地であるためか、春とはいえまだまだ寒さが残っていました。これから会う家族の事を考えると、この寒さが私の胸をさらに締め付けました。連れられて行く私の足も鈍くなり、何度も彼はいたわりの言葉で私を元気付けてくれました。
「疲れはったやろう、よう来なったなア」
  玄関をくぐると、少し腰が曲がり頭の白いものが目立ち、笑顔から人の良さそうな感じがうかがわれる彼の母が出てきました。彼の母に会った途端、私は来て良かったと思いました。そして、今までの不安が嘘のように取り払われていました。しかし、その時の出会いが最初で最後になるとは知るすべもありませんでした。
「よう来なった!」
  顎ひげを蓄えて、身体のがっしりした彼の父も出てきて挨拶をしました。家の中は古いながらも整とんされて、清潔に掃除されていました。そして、テーブルの上に置かれた山海の珍味を食べながら彼の両親と談笑に更け、時間の経つのも忘れていました。両親と初めて会うのに、なぜか初対面という感じを受けませんでした。特に彼の母は、控え目で落ち着きのある理知的な優しい人だと思いました。そして、その目は私に何かを訴えているようでした。
  帰阪してから、彼の母に対する気持ちがなぜか日増しに高ぶっていきました。そして、十日たった水曜日の早朝、私の家の電話がけたたましく鳴りました。
「お袋が亡くなり……」
  それは、あまりにも悲しい彼からの電話でした。頭の中は真っ白になり、受話器を持った私は我を失っていました。わずか数日前に会ったときは元気だったのに、私の心は混乱でいっぱいになりむせび泣くだけでした。慌てて父が電話を代わったとき、
打ちのめされた私は大声を出して泣いていました。そして、翌日の葬儀に父と私は出席しました。無事葬儀も終わり帰阪の用意をしていると、
「これ…お袋が、あんたにもらって欲しいと言っていた物やけど」
  はげて微かに紫色を残している小袋を私に差し出しました。ひもを緩めて中をのぞくと、淡いピンク色した真珠のネックレスが入っていました。どうしてよいものかと父を見ると、首を横に振っていました。
「そんなんもらわれへんワ!妹さんにでも使ってもらったら……」
  私は、ネックレスを頂くことを辞退しました。しかし、彼は
「お袋は、あんたに会えて喜んでいたんや…大事にしていたこのネックレスを首に飾って…頼むからお袋の遺志を受けて欲しい…なア!もらってくれよ」
  と、彼は言い終わらないうちに大粒の涙を流していました。私は彼と彼の母の好意を受け、形見のネックレスを頂くことにしました。
  そして、その日を境に頑固に反対していた父も賛成してくれ、喪が明けた翌年に私たちは結婚しました。そして、新婚旅行から帰ってきた私たちは、一番に義母の墓前に結婚報告をしました。

(「パール・エッセイ集Vol.2」の作品より)








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