真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

真珠のイヤリング      狭間沙織


 私の母は全く化粧っ気がありません。
  それは我が家がすし屋を営んでいたからです。化粧をすると、そのにおいがすしに移ってまずくなるからでした。盆も正月も休みなく営業していたので、おしゃれをする機会もめったになかったようです。
  そんな母のことだから、持っているジュエリーも多くはありませんでした。そのかわり、本物だけを持っていました。そして、その一つ一つに深い思い出や由来があり、母はほんとうに大事にしていました。 そんなささやかなジュエリーの中で、母が特に大事にしていたのが、真珠の一連のネックレスとイヤリングでした。それは、何からも汚されようのない清らかさで、それでいて薄っぺらな潔癖な白ではなく、推し量れないほど深い輝きを持つ真珠でした。 そのセットは、父の叔母から贈られたものでした。叔母は、素直で働き者だった母をとても可愛がって、「たまにはおしゃれも必要よ」と言って、その真珠のセットをプレゼントしてくれたのでした。私も、幼い頃からその真珠のセットが大好きで、ずっと憧れていました。
  それは、私がまだ幼稚園に通っていた頃のことです。
  ある日、私は急に母の真珠が見たくなりました。手に取って間近で見てみたい、と思いました。それは、きれいなものを見たいというシンプルな欲求でした。私は母の鏡台のイスを足場に、タンスの一番上の引き出しに手を伸ばしました。そこには、イヤリングのケースがありました。私はイスから降り、鏡台の三面鏡を開いてその前に座りました。
  母はいつものように階下で忙しくしていました。
  私はそっとイヤリングのケースを開きました。二粒のまんまるの真珠が、奥ゆかしく輝いていました。私は一気に胸が高鳴って、さっそくイヤリングを取り出し、見よう見まねでつけてみました。耳の後ろのネジをぐるりと巻いてみる。すると、私の両耳に、ま白い輝きが灯りました。 私は、うんとうれしくなって、窓辺に腰かけました。上機嫌で気持ちいい風にあたろうと窓から身を乗り出したその瞬間、私の右の耳から、ほろりとイヤリングが落ちてしまいました。ネジの巻きが緩かったのでしょう。真珠は一階の屋根をつるつると転がり、あっと思った時にはもう落ちて消えてしまっていました。 私は慌てて階段を駆け降り、窓の下まで行ってみました。そこは小さな洗濯物干し場になっていました。私は、隅々まで探しました。洗濯機の裏も物干し台の周りも、小さな草むらも。でも、何度探しても見つかりませんでした。
  お母さんがあんなに大切にしていたものを、失くしてしまった…。私は、どうしていいかわからなくて、申し訳ない、という気持ちでいっぱいでした。
  その夜、私は母に本当のことを打ち明けることができず、そのまま寝てしまいました。そして、こんなおかしな夢を見たのです。
  私は夢の中で、だだっ広い草原を走っていました。私の少し前を真珠が転がっています。けれどもちっとも追いつけません。すると、真珠は池の中にぽちゃん、と落ちてしまいました。私はがっかりして池の縁にぺたりと座り込みました。そうしたら、そこに鯉がやって来て、口をあんぐりと開けるのです。中には真珠のイヤリングがありました。私は大喜びでそれを受け取りました。
  と、そこで私は目覚めました。 すると横には母がいて、私の顔をのぞき込んで泣いていました。
「お母さん、どうしたの。」
と聞くと、
「だって、あなた、三日間もずっと眠り続けていたのよ。もうずっと目覚めないのかと思ったわ。」
と言うのです。
  私はびっくりしました。でも、それは本当でした。私は、ほんの少し夢を見ていたつもりでしたが、なんと三日間も眠り込んでいたのです。母が名前を呼んでも体を揺らしても、私は全く起きなかったそうです。
  私はイヤリングを失してしまったことを正直に打ち明け、謝りました。すると母は、「イヤリングなんて、いいのよ。お母さんにとっては、あなたが真珠なんだから。」
  そう言って、私を少しも咎めず、許してくれました。
  そのとき、私は大きくなって自分でお金を稼げるようになったら、真っ先に母に真珠のイヤリングをプレゼントしよう、と思いました。そして、その約束はまだ果せずにいますが、早く一人前になって母にプレゼントできる日が来るよう、頑張っています。

(「パール・エッセイ集Vol.3」の作品より)








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