真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

天使の涙から希望の星に       冨士貴子


東京で開催される女学校の同窓会に、韓国の春川から参加する同級生を、日本側の私達は三人で羽田に迎えにでた。
  空港の待合室はその日、殊の外混んでいた。四十数年振りに再会する喜びと共に不安もあった。彼女達がわかるだろうかということである。しかしそれは杞憂であった。大勢の人の中から、五人の友達をすぐ捉えることができた。女学生時代の面影が残されていたのである。
「金さん…朴さん…權さん…黄さん…姜さん」呼びながら駆け寄って、思わず抱き合った。しかし、女学生時代、あんなにふっくらしていた彼女たちの肩も背も、肉が落ちてごつごつしていた。その時、改めて四十数年の時の流れを感じていた。
  何から話していいかわからない位、お互いに胸こみ上げるものがあった。とにかく会場へ急いだ。そして予定通り同窓会をすませ、その夜は会場のホテルに一泊することになった。私達は一室に集まっておしゃべりを始めた。
  昭和二十年八月、終戦で私達日本人が春川を引き揚げてからのこと、その後朝鮮動乱が起きて、彼女達は北朝鮮の兵に追われ、着のみ着のままで釜山めざして逃げたこと、子供達が小さかったので、背負ったり、手を引いたりして必死だったこと、現在の春川は賑やかな都市になっていること、時には韓国語を混じえながら、彼女達は交交話してくれた。私達は、唯々聞き入るばかりであった。
  しかし、朴さんがふと洩らした言葉で、私達は物凄いショックを受けた。李玉子さんという、とても美しかった上級生が、終戦直前、日本兵に陵辱され、自殺したという事件である。慰安婦や強制労働等、国際的にも問題になっていることが、同じ机を並べて共に学び遊んだ学友の身の回りにあったこと……彼女達の立場になって考えると、もういても立ってもいられないような気持ちになっていた。
  彼女達が帰国する時、お土産に日本人形を贈ろうと計画していることを話すと、李さんが困惑したように言った。
「折角だけど、日本人形は、私達の家では今飾りにくいの。ご免なさい。でもわかってね」 私達は何も言えなかった。戦争の残したものの重さを、はっきり知らされたような気がした。しかし、もう二度と会う機会もないかもしれない学友達の初来日の記念と、ささやかながら贖罪の思いをこめて、なにかを贈りたい……。
  昴ぶる気持ちの中で、私達日本側の七人は、いろいろ考えてみた。そして、日本的な物、つまり日本を代表するようなもの、本物で価値があって美しいものにしたい……こう考えると、やはり真珠のネックレスが一番相応しいという結論になった。
  早速用意した真珠のネックレスは、美しく円やかな光澤を湛え、まるで天使の涙のようであり、私達の思いにぴったりであった。
  彼女達に、胸の中の思いを話して渡すと、思いがけない程喜んで受け取ってくれた。
  中でも、医学博士の御主人を持つ金さんは、国際会議で諸外国へ行くことが多いので、真珠は日本製が最高だと思っていたと言ってくた。
  二日後、私達は名残を惜しみながら別れた。一カ月位して、李さんから便りがあった。その中に、頂いた真珠のネックレスは、もう「天使の涙」から私達にとっては「希望の星」になったと書かれていた。これからの幸せを、きっと真珠のネックレスは守ってくれるだろうし、大切に子や孫にまで伝えていきたいともあった。
  私は真珠のネックレスを見る度に、あれこれと思い出しながら、真珠の育てられる海のような
……なんとも表現のしようもないような、深く大きな気持ちになれるのである。

(「パール・エッセイ集Vol.4」の作品より)








愛媛県漁協 本所 真珠課 愛媛県漁協 本所 真珠課
〒790-0002 愛媛県松山市二番町四丁目6番地2
TEL:089-933-5117 FAX:089-921-3964
フリーダイヤル:0120-42-5130
E-mail:m-shinju@ehimegyoren.or.jp

愛媛県水産会館