真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

「とんぼ返り見合い」       ふたりしずか


 「ええか、待ちに待った嫁さんが決まる日やで。何がなんでも決めてこな承知せんで」
  真冬だというのに、母が天王寺の駅まで励ましの見送りに来てくれた。
  今から私は夜行列車に乗って、紀勢線新宮駅まで見合いをするために行くのだ。親類のおじさんの紹介で、一日に二つもの見合いを午前と午後に分けてやることになっている。そして見合いの当日の夜、夜行に乗って引き返す「とんぼ返り見合い」というハードスケジュールでる。
  「ええな、決まったらすぐ電話してや。それからもう一つ、こんな日のために母さんが前々から用意していたこの真珠のネックレス。未来の花嫁さんからOKとれたらその場で手渡すんやで」
  思いがけない母の言葉と、胸をはずませてうきうきしているその姿を見ていると、あの日からの私の頑張りは、決して無駄ではなかったと思う。忘れもしない高二の夏、父が今までの働き過ぎがたたって倒れたのだ。
  日を追ってやせこけてゆく寝たきりの父。特に私の心を悲しませたのは、店閉まいのあと、くたくたになった体も何のその、やせこけた父の背中を、金だらいに湯をためて洗ってあげる母のさみしい姿であった。それを見ると、高校生活をこれからも続けてゆくことなど私には到底できなかった。その夜担任の先生に退学を申し入れて店を継ぐ決心をした。驚いたクラス仲間や先生が駆け付けて、山積みされた野菜の倉庫は、クラス仲間であふれた。
  私はその時すでに父から譲りうけていた、屋号入り前掛けにネジリハチ巻き、長靴姿で野菜の手入れをしているいっぱしの商売人になっていた。右も左も分らない生まれたての八百屋小僧にとってその日からは本当に自分との闘いの日が続いた。
  毎朝四時に起き、往復10キロの道のりを、自転車をこぎこぎ中央市場に仕入れに向かう。戻ったら戻ったで店出し、水洗い、配達、呼び込みと、夜の八時までびっしり働く毎日であった。
  クラスの仲間とバッタリ町で出会っても、握手一つするにも、ひびわれた赤ぎれの手。血のにじんだ両手が恥ずかしくて、手を差し出すのもおっくうであった。その上、学生服がまぶしくて目にしみた。
  父が倒れてから三年目、遠のいていた客足も以前通りに盛り返し、猫の手も借りたいほどの忙しさになっていた。
「早う順一に嫁もらわんことには追いつかんわ、この商売も」
母のうれしい悲鳴が市場中に響く。
  そんな折も折、渡りに舟の見合いが飛び込んできた。
「この真珠のネックレスには深いいわれがあるんや。今日の今日までお前に内緒にしていたけれど、実は父さんや母さんがこの三宮で商売をやれたのはこの真珠のネックレスのおかげなんや。岡山の片田舎から、家財道具一切を売り払ってこの八百屋商売に賭けようと決めた時、村の金持ちの人に全部買い上げてもらったんや。でもどうしてもこのネックレスだけは手放すことができなかったんや。父さんに結婚を申し込まれた時頂いた、記念の思い出深い大切な大切な品やったから、手放しとうはなかったんや。けど先立つものは金しかなかったから、心で泣き泣き、結局は手放す事になってしもたんや。でも父さんはその人にお願いして、必ず商売がうまくいったら取り戻しに来させてもらうから、決して他人様には売ることなく手元に置いといて下さいとお願いしたんや。そんな父さんのひたむきな姿に胸打たれ、その人はちゃんと手元に置いてくれてた。『きっといつかは。きっといつかは』ネックレスをもう一度手元に呼び戻すことばかり思うて、父さんは働きまくった。またそれを働き甲斐にもした。そしてとうとう八百屋商売を始めて十年目にしっかりと神戸に連れて来てくれた。そんな訳のある、父さんの頑張りとがむしゃらな働きが詰まっているネックレス。きっと父さんのメガネにかなう働き好きの花嫁さん、引っ張ってくると信じてるで」
  始めて聞かされる母の話に、急にファイトが湧いてくる。私が中退をして働き始めた頃は、歩くことさえおぼつかなかった父も、今では、少しくらいの用事ならできる程にまで回復してきている。
「任しといて母さん。こうなったら商売好きの、働き好きの、気立てのやさしい嫁さん見つけて、父さんの病いなどすぐに吹っ飛んでしまうような吉報持って帰ってみせるわ」 釣り客でごった返す車内で、母とがっちり握手を交わすと、何事かいなと皆がいっせいにこちらを見た。 七時間の夜行では一睡もせず、私はネックレスと言葉を交わし続けていた。父と母を結ぶきっかけとなったネックレス。一大決心で八百屋商売に賭けた時、涙をのんで手放したネックレス。男の意地で母の手元にまた舞い戻った、父のたくましさが匂うネックレス。そして八百屋の二代目に嫁ぐ嫁さんのために渡される、新たな門出のネックレス。こんなに素晴らしいたくさんのエピソードを秘めた真珠のネックレスのしたたかに、たくましく生きる輝きを悲しませたり曇らせたりする訳にはいかない。
「何が何でも決めねば!」
  とんぼ返り見合いの日からもう三十六年経とうとしているけれど、あの日の真珠のネックレスは今も健在で、例の見合い、午後の部の娘さん(今の女房)に可愛がられてる。

(「パール・エッセイ集Vol.4」の作品より)








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