真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

「遠い国へのプレゼント」       安藤泰子


「結婚したら五十年も六十年も、ずっと一緒にいられるんだよ。そのうちのたった二年間じゃないか。だったら遠慮しないでやりたいことやりなよ」
 彼との間で結婚話が持ちあがったのは、青年海外協力隊の合格通知を受け取ってから三カ月めのことでした。協力隊は、私の七年ごしの夢でした。お金をためて、専門学校へ通い、技術を身につけ、選考試験に合格し、ようやく実現への第一歩を踏み出したところだったのです。合格通知が届いてから派遣までの期間が約一年あり、彼と私はその間に急接近し、結婚話が持ち上がるまでになったのでした。
 それにしても、運命とは本当に不思議なものです。今までにも、のどから手が出るほど結婚したいと思ったことがありました。しかし、そうやって焦っているときに限って、縁は逃げていくものなのでしょうか。自由で気楽な独身生活を、思いっきりエンジョイしながらも、ふと将来の自分を思うとき、心のどこかで不安な思いを感じていたのでした。
 そんな毎日の中で、あるきっかけで、かねてからの夢だった協力隊にチャレンジしようと思うようになったのです。幸いなことに私には、元気がありあまっていました。同年代の友人が、主婦業や出産・育児等にエネルギーを注ぎ込むなかで、エネルギーを注ぐ対象が「自分」しかなかった私は、昼間会社で仕事をし、夜は専門学校で勉強するという日々を、さほどハードに感じることもなく、それどころか非常に楽しく送ることができたのです。そして、ようやく念願の協力隊の合格通知を手にすることができたのでした。
 無論、彼との結婚には一点の迷いもありませんでした。しかし、体は一つです。彼との結婚を選ぶか、協力隊参加を選ぶか、答えをださなければ、と考えあぐねる日々が続きました。考えあぐねる私に、ある日彼はこう言いました。
「両方やればいいんだよ、ちゃんと帰って来てくれれば」
「えっ?」と驚く私に、更に続けて言ったのが、冒頭の台詞だったのです。
 そして数カ月後、私は遠い中東の国へと旅立ちました。あちこちにモスクがそびえる街並み、一日五回モスクから流れる祈りの声、アラビア語のざわめき、羊肉の料理、それらが決してもの珍しいものではなくなり、私の日常にしっとりと溶け合ってきたころ、私は異国での初めての誕生日を迎えました。それから数週間後、日本からはるばる家族が会いに来てくれました。
「これ、タカヤ君から預かってきたんだけど……」
と、母は小さな箱を差し出しました。
「郵送で送るのはどうしても嫌だからって、一緒に持っていってください、って丁寧に頼みこまれてねェ」 
 あけてみると、小粒のかわいいパールのピアスでした。決して派手な輝きではないけれど、しっとりとおちついた光沢、そしてすいこまれそうな真珠色。上品なデザイン。それは、決して派手ではないけど、私が一瞬たりとも忘れることのない、彼の穏やかな瞳のようでした。まるですいこまれるように見入ってしまう真珠色は、私達のこれまでの年月を静かに物語っていたのでした。そしてテレ屋の彼らしいメッセージが添えてありました。「今年は誕生日を一緒に祝えないので、その分フンパツしました。フンパツしたのに郵送中に無くなったら悔しいので、お母さんにお願いしました。お誕生日おめでとう」
 この国にきてからというもの、砂漠の広大な風景を目にしたとき、アラブ人のギャグに腹の皮がよじれるほど笑ったとき、美味しいものを食べたとき、何かしらの喜怒哀楽を味わったとき、私はいつもいつも、早く彼に伝えたいと思うのでした。体験を共有したくてすぐに手紙をしたためました。何でも書きました。つまらない愚痴や悪口で便箋を埋めることもありました。そんな時彼はこう言うのです。「心にためるな、なんでも話せ」と。
 おかげで私はこの異国で、身体的にも精神的にもいたって健康な状態で、今日まで過ごして来られたのだと思っています。
 あと少しで協力隊の任期が終わります。よく、過ぎてしまえば早かった、と言いますが確かにそう思う反面「やっぱり長かった」とも思うのです。人間として、会いたい人にあえない、という状況はやはり不自然です。家族や友達と一緒に過ごすことを、何よりも大事にするアラブの人々の考え方に触れたせいかもしれません。家族や愛する人を何より大切にして生きていきたい、という考え方がこの国で暮らす間、少しずつ私の中に培われたような気がします。
 彼が私にプレゼントしてくれた、この国での残り少ない時間を大事に過ごそう。そして日本へ帰ったら、彼にすばらしいプレゼントをしよう、今度は私の番なのだから……。パールのピアスを見るたびにそう思うのでした。

(「パール・エッセイ集Vol.3」の作品より)








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