真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

「母の指輪」       三枝小夜子



 母は、真珠の指輪を持っていた。大抵の服に合うし、何よりも品がいいから、と言って父が贈ったその指輪は、銀色の台に、つるりと白い真珠がぽつんと乗った、極めてシンプルなもので、若い母によく似合った。外出のためのおめかしの総仕上げに、青いケースをぱかんと開けて白い玉のついた指輪を取り出す母の横顔の美しさが、幼心にも誇らしかった。
 当時の私は、おとぎの国にまだ片足が残っている小学一年生で、シンデレラのガラスの靴や、人魚姫の真珠の尻尾飾りに憧れていたものだから、当然、真珠の指輪も欲しくてたまらず、
「お母さんが死んじゃったら、絶対、私に頂戴。」
などと、縁起でもない約束を母と交わしていた。けれども勿論、そんな遠い未来の約束に満足できるはずはない。私はしばしば、母の目を盗んでは指輪を取り出した。手の中で暖かい白さを湛える真珠を、光に透かしたり、目を細めたりして眺めては、とりとめのない空想を楽しんだのだ。
 そんな風にして遊んでいたある日、私の頭にわくわくするような考えが浮かんだ。私はあやとりに使っていた毛糸を指輪に通し、首にかけると、嬉しさに弾けそうになりながら、隣の真由美ちゃんの家に走って行った。
 数日後、母が私を呼んで言った。
「真珠の指輪が無いの。知らない?」
 指輪?この前、内緒で借りて、真由美ちゃんと人魚姫ごっこをした。返したかな?いや、返してない。どうしよう。嵐のような頭の中とは裏腹に、私は即座に
「知らない。」
と言い、それから心から同情する、といった顔を作り、早口で
「大変だね。一緒に探してあげる。」
と言うと、母の視線を逃れるようにして、外へ駆け出した。私はべそをかきながら人魚姫ごっこの舞台を辿った。十六歳の誕生会をした神社のお城、歌いながら泳ぎ回った空き地の珊瑚礁、王子様を探した川原の人間の国。暗くなるまであちこち歩き、外には無い、という確信だけを携えて家に帰り、母と一緒に狭い家の隅から隅まで探し回った。
 その日、指輪は見つからなかった。私は緊張のあまり大はしゃぎをし、夜中に突然腹痛をおこし、父に背負われて病院に行き、数日間寝込んだ。
 寝ているのに飽きてきた頃、指輪が出て来た。お風呂場の脱衣かごの中に入っていたのだ。母の掌の上の指輪を見て、私は言った。
「良かったね。これから気をつけなね。」
 私は母の幸運と不注意とを指摘し、大嘘と病気はそれで終わった。私はその後、真珠の指輪に触れることは無くなった。奇妙なことに、母は全くその指輪をしなくなった。
 時は流れ、私が大学生になると、『紀子様ブーム』で真珠のアクセサリーが大流行した。すっかりミーハー娘に成長した私は、十数年ぶりに例の指輪のことを思い出し、勝手に母の宝石箱の中を探した。真珠の指輪は、ケースにも入れられずに、宝石箱のすみに転がっていた。手に取ると、それはあまりにも軽く、小さかった。茶色の染みが浮き出た黄ばんだ玉のついた指輪は、どう見ても、子供用のおもちゃだった。
 子供時代の夢がまた一つ砕け散ったのを感じた私は、指輪を持って、母のいる台所に行った。
「お母さん。ほら。懐かしいね。」
 指輪を見た母は、肩をすくめた。その動作を、嘘を見破られた照れかくしだと思った私は、しみじみ言った。
「昔は貧乏だったんだね。こんな指輪を、あんなに大事にして、無くしたって言って大騒ぎして……。」
「それじゃないもの。」
 続いて母が語った話は、私を仰天させた。指輪が無くなった時の私の様子から、母は、私が持ち出したことに気付いた。
そして、真由美ちゃんの話から、私たちが遊んだ場所を全部探したが、結局みつからず前述の通りの私の状態を見かねて、おもちゃ屋で似たようなものを買ってきたのだというのだ。躾に厳しかった両親が、嘘つきの泥棒娘を叱らなかったのは、呆れたせいか、哀れに思ったせいか。どちらにしても、きまりが悪い。
「このにせ真珠の指輪は、娘を思う両親の心の結晶なのね。」
「そうよ。もう錆びついちゃったけどね。」
「でも、おかげで真珠のように真っ白で円かな心ばえの娘に成長したわよ。」
「真っ黒なバロック真珠じゃない?」
 二人で大笑いしながらも、私は、母に贈るべき真珠の指輪の値段を思い、心の片すみでため息をついていた。

(「パール・エッセイ集Vol.1」の作品より)








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