真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

「真珠の思い出」       直井 和子


 私は、海に囲まれた日本の女性にとって、真珠の輝きほどしっくりする宝石はないと思っている。欧米の若い女性は、たいていさりげなく小さなゴールドのピアスをしたり、細いゴールドのチェーンを首に巻いている。中年になると、大輪の花のように、実に華麗に大きなゴールドや宝石のアクセサリーを幾つも堂々とこなしている。しかし、私が身に付けるとゴールドや宝石は私を圧倒する。
少しでも元気がないと、私はその輝きに負けてしまう。
 気分がのらないのにあらたまった所に出席しなければならない時、私はいつも、宝石箱の中から思い出の真珠のペンダントを取り出してみる。
それは、伊豆の海で取れた紡錘形をした真珠で、私は“涙の真珠”と密かに名付けている。ブラウスにしてみると、開いた襟の胸元からちらっと見えて、静かで清楚な淡い輝きを放つ。決して私に挑戦してくることはない。私という雰囲気の中になじんで、しっとりとした気分を味あわせてくれる。私は、鏡の中の真珠を見つめてほっとする。これなら、特別の自分を演出する必要もなく、自然な自分の美しさをひきだしてくれるような気がする。それは、ちょっとゆがんでいて少々いびつでさえある。雫のような形はまさに人魚の涙に見える。
ゴールドや石のような硬質の冷たさはない。柔らかい貝の胎内に眠って海の音に包まれて育った、おっとりした箱入り娘の甘さがある。
もし、スカーレット・オハラだったら、つらい時こそ堂々と胸をはって、挑戦的な表情と美しい緑の瞳に似合うとびきり大きなエメラルドを、顔の近くにもってくるに違いない。しかし私だったら……と、思いを馳せる。つらい時は、つらさを素直に受け入れて、そのままの自分に寄り添ってくれる真珠を身に付けたい。
 今から十二年前、私は留学先のドイツで、両親の許し無しに結婚をした。全てが事後報告だったのだから、どう考えてみても親心を逆なでするようなこちらが絶対に悪い。帰国して結婚の許しを請うた時、私の胎内にはもう既に娘がいたが、両親は、怒って私を家に入れてくれなかった。いくら言いあっても、話は平行線を辿るばかり。私は決して謝らなかった。主人が帰国してちゃんと話が進められるまで、いる所のない私は静かな湾に面した伊豆の親戚の家に預けられることになった。表は海、裏はみかん山、のどかでのんびりとした農村と漁村を兼ねた小さな伊豆の田舎。そこは、ペナルティー・ボックスのはずだったのに、私は実に穏やかな日々を過ごした。三月、遠くにきらきら輝く太平洋を臨み、湾はそよそよとして、陽はうららかだった。梅は満開、小鳥は早朝からおしゃべりに夢中、みかんの木はつやつやの葉をそよ吹く春風に遊ばせていた。同じ三月、ドイツには緑のものはどこにもなかった。一日中どんよりとして太陽の光さえなかった。
石畳の道は冷たくて、凸凹で、厚いブーツなしには町を歩けない。いつも私は、異邦人として肩をいからせ颯爽と風をきって歩いていた。
それがここでは、ブーツを脱ぎ捨て、コートを脱ぎ捨て、薄いカーディガンさえ脱ぎ捨て、無防備なほど薄着で春風に吹かれているのである。
自分で自分の心を一つ一つ紐といていく。好きだった装飾品も全て取り去った。なぜ、こういうことになってしまったのだろう。一人娘の私と親との密接な親子関係を、私は最も残酷な手段で断ち切ったのだ。悩み苦しんで眠れない夜を幾晩も経験した。しかし、こうして、
のどかな時を送っていると、全てがうそのようだった。私の顔の表情は次第に穏やかになって、険しさや鋭さが知らず知らずのうちに消えていった。すると、心のなか肩意地をはっていたものが、涙となって溶け出してきたのだった。ごめんなさい……。そんな言葉が自然に口をついて出てきた。しばらくして、ついに両親と和解し、家に入れてもらえることになった。お世話になった伊豆の親戚の家を出る時、幸せになるのよと伯母から目の前の海で取れた真珠のペンダントをもらったのである。少しいびつで涙の形をした真珠だった。それは伊豆の海のような穏やかさで、そっと私を励まし包んでくれる。それからしばらくは出かける時はいつもその真珠のペンダントしかしなかった。
一度取り去った虚飾を再び身に付ける気にはならなかったのだ。一か月後主人が帰国し、四か月後娘が生まれ、平凡な親子三人の生活を送って十二年がたった。今でも、気がくじけそうになると、涙の真珠を手に取って身に付けてみる。するとあの時の海の色や、うららかな春の光を思い出し、素直な自分に戻れるような気がする。寄り添うようにやさしい真珠の輝きの中に、あの日の私が宿っているような気がするのだ。

 

(「パール・エッセイ集Vol.1」の作品より)








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