真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

「母さん ダイスキ」       下中 晃子



 U子ちゃんのお母さんは優雅な人でした。
「お化粧しない母さんがいい」
と、U子ちゃんが言うだけあって、素顔の方がすてきなのです。桜色の頬、片えくぼ、キラキラ星のような瞳の持ち主ですもの。
 おばちゃんは、参観日には、いつも無地っぽい服に二連のネックレス姿で、こてこてのお母さんたちの後に、ひっそりと立っていました。
それなのにというか、それだから余計にと表現すべきか、とにかく彼女のいる処が教室の中心みたいにみえたものでした。
 私、は、日焼けしてよく笑う私の母の次に、このおばちゃんが好きでした。
 こんなつつましい幸福に包まれたU子ちゃん一家を、不幸がおそったのは、私たちが四年生の夏休みをむかえた日のことでした。
U子ちゃんのお父さんが急死したのです。
「おじいちゃん、おばあちゃんそれにおばさんたちまで、母さんにいけずするの」
 U子ちゃんの口から、そんな打ちあけ話をききたくはありませんでした。
「母さんが死んだらよかったなんて言うんよ。母さん、うつ向いてるだけやし……」
「なんで?」
「父さんね、母さんのいえの棟上げ手伝いに行って死んだから……疫病神やて……父さん、足場から落ちたから……」
 事故だったのです。おばちゃんの実家からおばちゃんのお兄さんがやってきて、泣いてあやまったそうです。でも、それは仕方のないことだったのに……。
 のこされたのが、若く美しい女性だったせいか、「○○の主人とうれしそうに話をしていたのを見ましたよ」とか、「△△の息子に色目を使って野良仕事を手伝ってもらっていた」とか、つまらない情報を伝えにくる人たちもいて、U子ちゃんの家は、
「むちゃくちゃやねん」
ということになってしまいました。
 それから約二ヶ月後の運動会の前日、お使いがえりの私は、まっ赤な眼をしたU子ちゃんに呼びとめられました。
「母さん出て行ってしまうかもしれへん」
「なんで?」
「おじいちゃんが『出て行くんならU子置いてゆけ!』いうて、ゲタなげつけはった。おばあちゃんもこわいかおしてはった!!」
 孤立無援のおばちゃんは、ほんとうに出て行くかもしれない。
 そのとき、私の頭に四年生の浅知恵がひらめきました。
「ね、あのくびかざり、かくそうよ」
「田舎のおばあさんのかたみのあれ?」
「おばちゃん、大切にしてるから、探すわよ。そのうち気持ちが変わるかも……」
 翌日は、ピカピカの運動会日和になりました。私の家族、U子ちゃんのおじいちゃん、おばあちゃんの顔もみえます。でも、U子ちゃんのお母さんの姿は見つかりません。
そわそわするU子ちゃん。
「ほんまにかくしたの?」
「それが……かくせへんかったの。そのかわり、箱の中に手紙入れといた……」
 お昼になりました。おじいちゃん、おばあちゃんだけが待つ家族席へ、お弁当を食べに行くU子ちゃんの後姿は、カチカチに固まっているようにみえました。
「おばちゃん、出て行きはった……」
 私は、そう確信しました。
「リレー参加者は準備して下さい」アナウンスに促されて、私はまたU子ちゃんの隣に並びました。二人はライバルです。
「あーきたあ!」
 U子ちゃんが、とろけるような眼をして叫びました。スカイブルーのワンピースに例のネックレスをつけたおばちゃんが、おじいちゃん、おばあちゃんの席へ入ってゆくのが見えたのです。
「手紙、何てかいたの?」
「母さん ダイスキ」
「それだけ?」
「うん、それだけ」
 その日のリレー競争で、いつも負けていた私が、U子ちゃんを追い抜いたのは言うまでもありいません。
 何せ、U子ちゃんは、デレーとした顔に、涙やら汗やらよだれやら、やれやれやら、どっこいしょやらをいっぱいためて、よっぱらいみたいに走り続けていたのですから。

 

(「パール・エッセイ集Vol.1」の作品より)








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