真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

「真珠物語 パールのネックレス」       加藤 博子


「ねえ、これなんかいいんじゃない。」そう言って母が指さしたのは、微かにピンクがかかった8ミリ玉を形良く連ねた真珠のネックレスだった。
結婚式を目前に控えたある日曜日、私は母を伴って銀座の真珠専門店を訪れた。その日は、会社の先輩が教えてくれた『お得意様特別招待会』。
さすがに専門店だけあって、品揃えの豊富さと素人目にも明らかな質の高さに、私たちは少女のように頬を上気させた。母の指示にうなずいた
店員が優雅な動作でネックレスを取り出すと、それを私の首に巻いた。目映いばかりの輝きにうっとりとなった私は、ふと値札に目をやって
仰天した。
「母さん、七十二万だよ。いくら何でも高すぎるよ。」私の耳打ちに母は
「大丈夫。あんたへの祝儀だって、父さんがしっかりくれたんだよ。」と笑顔で囁き返した。しっかりったって……。
うちは夫婦二人で肉屋を営むごくごく普通の家庭。とてもポンと七十二万の買物ができるような身分じゃない。しかし、唖然とする私を尻目に
母は商談を進め、
「これが、あんたに買ってやれる最後の品物なんだから。」と言うとさっさと支払いのサインを済ませてしまった。
 上品な包装を施された小箱が差し出され、私は夢なら覚めてくれるなと願った。手のひらに感じた箱の重さが喜びを現実のものにした。
天にも昇る気持ちとはこのことだ。
「母さん、ありがとう、ほんとうにありがとう。」小躍りして喜ぶ私に
「父さんにも、ちゃんと礼を言うんだよ。」と母は目を細めた。そして
「あたしだってさ、女に生まれたからには一度くらいこういう豪勢な買物をしたかったんだよ。」と笑った。
 その夜、父に晩酌のお銚子を傾けながら私は買物の報告をした。
一部始終を黙って聞いていた父は台所にいる母を顎で指し、
「母さんは何も買わなかったのか。」と尋ねた。
私が首を振ると
「母さんらしいな。」と呟き、暫く何か考える風をしていたかと思うと
「お前、先週、房子叔母さんが来たのを覚えているだろ。」と口を開いた。
 房子叔母さんは父の妹で、横浜に嫁いだ人だ。夫は小さな食品会社を経営しており、一時はかなり規模を広げたらしい。しかし、その事業も
このところの不景気で、いくらか陰りが見えているという噂だった。
「実は二百万貸してくれって言われてな……。借金があるらしい。その時母さんが、うちで出してやろうって……。二人でこつこつ貯めた定期が
三百万あったんだが、これを無かったことにしようって言ってな。」
父は滞った舌を酒で湿らせ、さらに続けた。「正直、ありがたかったよ。自分も苦労してきたくせに……。死んだ婆さんのことだって、
下の世話まで一人でしてよ。婆さん何度も手を合わせてた。だから俺、残りの百万も無かったことにして母さんにやるって言ったんだ。
好きに使えってよ。」いつの間にか父の目の回りは真っ赤になっていた。
「じゃ、母さんはそれをみんな……。」言い終わらぬうちに私も涙が溢れてきた。
 そこへ母が入ってきて、真っ赤な目の二人を、何よ、さっそくできあがっちゃって、と笑い飛ばし、その話はそれきりになった。
 夜更けに、なかなか寝付かれない私は、枕元に置いたネックレスの箱を、もう一度開けてみた。すると仲良く並んだ真珠たちが、
闇の中に白く浮かび上がり私に語りかけてきた。
「あんたもずっと守られてきたのよ。父さんと母さんっていう二枚の貝にね。」
そして月明かりに照らされて、きらきらと笑った。
 あれから、もう何年も経つ。私は結婚し、昨年長男が誕生した。父と母はおじいちゃんとおばあちゃんになり、初孫にメロメロだ。
私は今でもここ一番という時には、必ずあの真珠を身につける。本物を持つ自身とそして何より、あの両親の娘だという誇りが私を強くして
くれるからだ。これまでも、そしてこれからもずっと。

 

(「パール・エッセイ集Vol.1」の作品より)








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