真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

「真珠と私の秘密の話」       岸信子

 売れる物は全部売った。
 車、バイク、ビデオ、テレビ、クーラー、本、レコード、カメラ。
「ねえ、ねえ、これって、テレビのドラマみたいね!」
 夫の背中に声をかけると、夫が真顔で振り向いた。
「ほんとに現実がわかってる?」
「あら、失礼ねえ!わかってますよぉ!
そりゃあもう、ちゃあんと、完全に、しっかり、十二分に理解してますって!」
 笑ってる私を、夫はしっかり抱きしめた。
 突然の夫の失業、多額の借金――。
 楽天的な性格が幸いして、不思議と悲愴感はなかった。
「なんとかなるって!」
 一ヵ月、二ヵ月、三ヵ月…。夫は精一杯がんばってくれているけれど、どうしてもお金が足りない。もうすぐ三人目を出産する私に、収入を得るすべはなかった。
 あ、そうだ…。
 私は、電話帳のページをめっくった。
 あった、あった。
 しばらくそのページをながめてから、私は立ち上がり、引き出しの中から青いケースに入った真珠のネックレスを取り出した。結婚の際に母から譲り受けたものだ。
 電話帳を頼りに、生まれて初めて訪れた質屋の中、ドキドキしながら待っていると、小窓ごしに店主が言った。
「品物を見せて下さい。」
 おずおずと差し出した真珠のネックレスを、店主は手慣れた様子でながめながら、
「いくらくらいいるの?」
と言った。
 いくらくらいって…。いったいいくらくらい貸してもらえるんだろう?十万円?十五万円くらいはOKかな?
「あの…、初めてでよくわからないんですけど、そのネックレスでだいたいどのくらいになるんでしょうか?」
「そうねえ。うちだったら一万五千円、まあ、二万円までですかね。」
………!
 私は動揺した。
 たったそれくらいのお金のために、私はこんな大切なものを持ち出してきたというのか…。
 でも、そのたったそれくらいのお金が、今どうしても必要なのだ…。
「よろしくおねがいします…」
「じゃ、ここに住所と名前を書いて。」
 差し出されたノートに記入しながら、私は店主の事務的な説明を受けた。利息のこと、質流れの期限のこと。
 質流れなんか絶対にさせるもんですか!店主の手の中にある真珠のネックレスに向かって、私は心の中で叫んだ。
 待っててね!すぐ迎えに来るからね!
 二万円を手にしての帰り道、私の胸は母への申し訳なさでいっぱいだった。
 ごめんね、せっかくもらった大切なものなのに…。
 その晩、母の夢を見た。夢の中の母は、何も言わずに笑っていた。ただやさしく笑っていた。
 目が覚めて、私は夫の失業以来初めての涙を流した。
 がんばらなくちゃ!
 夫の収入が安定するまでのその後の二年間、真珠のネックレスは、質屋とアパートの間を何度も何度も行ったり来たりして、生活を助けてくれた。
 
 
あれからもう何年もたった。
私たち家族は決して裕福ではないけれど、楽しくて幸福な毎日を送っている。
 今年の春、長男は中学生になった。
 入学式の日、真珠のネックレスは、私の胸でつややかな光を放ちながら、息子の成長を共に祝ってくれた。
 質屋通いをしたことは、誰も知らない私とこの真珠だけの秘密!口の固い真珠のこと、これから先も、沈黙を守り続けてくれるに違いない。
 私は胸に輝く真珠のネックレスをちょんとつついて、心の中でささやいた。
 いろいろ苦労かけちゃったけど、これからもずっとよろしくね!

 

(「パール・エッセイ集Vol.4」の作品より)








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