真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

私と父の秘密       飯野 真弓

  あれは確か私が高校生のころだったと思う。両親の若いころのアルバムを見つけた私は、その中の一枚をこっそり持ち出して、長い間大切に持っていた。
二十歳という若さで結婚した両親は結婚式を挙げるだけの資金がなく、町の小さな写真館で記念写真を撮ったということは、幼いころ聞いたことはあった。
ところが両親の照れもあったのだろう。私はその写真を一度も目にしたことがなかった。そんな写真を見つけた私は、何だかそのままアルバムに戻すのがもったいなくて、そのまま手元に置いてしまった。というのも、写真の二人が平服にもかかわらず、とてもすてきだったからである。二人の笑顔はまぶしいくらい輝いており、そんな二人の姿に自分が愛されて生まれてきたことを改めて感じることができたのだった。母の胸元を飾っていた真珠のブローチが、母の幸せそうな笑顔を一層引き立てていた。よく見ると、父のタイピンも真珠だった。さりげなくペアでそろえたようである。おしゃれな両親らしい演出に私は
とても感激してしまった。
 月日が流れ、私が二十才になったころ、父が「成人式には何か記念になるものを贈ろうと思っているんだが・・・」と提案してくれた。久しぶりに父と出かけることになった。その時私は思い切って父に尋ねてみた。アルバムからこっそり写真を持ち出して以来、ずっと気になっていた母の胸元を飾っていた真珠の行方を・・・。すると、父はとても悲しそうにつぶやいた。「母さんと結婚したころは生活が苦しくて、写真館で記念写真を撮った後、泣く泣く質に入れたんだよ」
父の顔があまりに寂しそうだったので、私は困ってしまった。それを聞いて、何だか成人式のお祝いなんてどうでもよくなってしまった。そして、当時の私にしてはすばらしい提案を父に持ちかけてみた。「お父さんそろそろ結婚二十周年でしょう。その時に真珠のブローチ贈ってあげたら。あのときと同じとはいかなくてもきっと、母さん喜ぶわよ」この提案を父はとても喜んでくれた。そして、二人で、いくつかの宝石店で見て回った。いったいどのくらいぶりだろう。父とこうして肩を並べて街を歩くのは・・・。思春期を迎えて、急に父をうっとうしく思うようになった私にとって、この買い物は少しずつ父へのわだかまりを解いてくれたような気がする。共通の目的が私たちを仲の良い父娘にしてくれた。
 その日はとりあえず下見ということで、後日もう一度二人で出かける約束をした。こうして、結婚記念日に向けての私と父の最初で最後の秘密が作られたのである。と同時に、この秘密は私にとってすばらしい成人式の贈り物にもなった気がする。結婚記念日を間近に控えたある日、母にもさりげなく例のブローチのことを聞いてみると、父と同じようにあれを質に入れなければならなかったことを悲しんでいたのである。そんな母の横顔を見ながら、結婚二十周年にもし真珠のブローチを贈られたらどんなに喜ぶだろうと一人でワクワクしていた。「待っててね、母さん」
 ところが父と再度出かける約束をしていた日、突然父は亡くなった。いろいろな意味でショックだった。何よりも父の母へのせっかくの思いが形にならないまま終わってしまったことがつらかった。父の死後私たち親子は離れ離れになり、毎日の生活に追われ、何度か父の思いを母に伝えたいという気持ちはあったのだが、つらそうな母を見ていると言い出せなかった。そして、父と私の秘密は誰にも知られることもなく、秘密はずっと秘密のままだった。しかし今、私はひそかに数年後還暦を迎える母に真珠のブローチを贈ろうと思っている。その時、父との秘密を打ち明けようと思っている。ずいぶん遅くなってしまったが、高校生のあの時、こっそり写真を持ち出したことへの罪滅ぼしと父の供養を兼ねて・・・。

(「パール・エッセイ集Vol.2」の作品より)








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