真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

山手線       市川 圭子

 山手線に乗ったのは、ほんの気まぐれからだった。レモンイエローの総武線から、シルバーの車体にグリーンのラインが入った山手線に乗り換えた。秋葉原の駅で、どちら回りに乗ろうか迷ったが、時計回りに、というのもつまらなく思えて、暗い階段を降りて、上野方面行きの車両に乗った。
 日曜日の昼下がりの車内は、足も浮き上がる平日のラッシュしか知らない私には、食べ残しのスナック菓子のように間が抜けて感じた。シルバーシートの反対側の席がポカンとあいていたので、そこに腰掛ける。一番奥の席は、窓にもたれ掛かるにも、ひじをかけるのにも都合がいい。
 なんとなくくつろいだ気分で寄り掛かっていると、向かいの席の網棚の上に目が行った。白いウェディングドレスを着た美人がにっこり笑っている。
結婚式場の案内のポスターだ。胸元の真珠が初々しい。ピンク系だろうか,ベージュ系だろうか。
 「若い人はピンク系が似合うのよ」
ふと、母の言葉が思い出される。私がその言葉を聞いたのは二年前。そのとき私は、ポスターの美人と同じ、白いウェディングドレスを着ていた。
 結婚式当日、式場は日柄のよさが災いして、八組の新郎新婦に、八組分の親戚友人、その他諸々でごった返していた。お色直しだ、記念写真だと分刻みで追い立てられて、あちこちでかち合う、となりの松の間の花嫁さんのドレスは覚えていても、自分がどんなドレスを着ていたかさっぱり思い出せない。そのさなか、お色直しの控え室で、留め袖姿の母の姿が目を細め、それでも見えにくいと少し背中をそらして留め金を留めてくれたネックレスの事はよく覚えている。母がお嫁に行くときに、祖母が持たせてくれたというそのネックレスは、粒のそろったピンク系の真珠だった。何度も糸を取り替えたとはいえ、時を経て深みを増したその色が母とともに、鏡ごしににじんで見えた。
 「若いときはピンク系が似合うのよ」
そのとき母が言った言葉だ。
 あの日から私の物となったネックレスはどこにしまったっけ?ぼんやり考えていると、車内が急に騒がしくなった。電車はいつの間にか池袋を発車していた。騒ぎの原因は双子の赤ちゃんと女子高生。
 「超カワイイ!」
三人組の女子高生の甲高い声に、一人ずつ赤ちゃんを抱いた若い夫婦が、顔を見合わせてはにかんでいた。目白幼稚園と大きく書いた看板の前に電車が止まると、女子高生たちはグラスホッケーのステッキを肩にかつぎ、騒がしく何かさえずりながら、ホームに降りていった。電車が発車すると、彼女たちは窓越しの赤ちゃんたちにいつまでも手を振っていた。
 高田馬場駅近くになると、冬とはいえ、車窓の緑が少なくなった。そして新宿。長いホームは相変わらず、お祭りのようにごったがえしていた。また騒がしくなった車内は、ごちゃごちゃと並ぶ予備校の看板や明治神宮の森をすぎるとようやく静かになった。
 列車が大森にさしかかったころ、日が暮れてきた。冬の夕焼けは短い。線路に面したアパートの窓で、あわてて洗濯物をしまっている人が見えた。
ふと家のベランダの洗濯物が気になる。彼がいれてくれるかなと思いかけて、なわけないな、とため息が出る。昨日は午前様、今朝は早くから草野球に出かけた彼の布団は、私が起きる頃には冷たくなっていた。洗濯物ごしに空を見ていたら、家に一人でいるのがたまらなくなって、ふらりと電車に飛び乗ったのだった。
 秋葉原に着いた頃には、日はとっぷりと暮れていた。私は山手線を降りると、のろのろと階段を上り、再び総武線に乗り込んだ。ドアに寄り掛かって街の灯をながめていると、訳もなく涙が流れた。人目を気にしつつ、私はしゃくりあげて泣いた。
 カタタン コトトン
 足元から線路の響きが陽気に伝わる。 
 カタタン コトトン
 カタタン コトトン
 ガタタン ゴトトン
 予告もなくその音が突然、大きくなって車内に響きわたる。江戸川をわたっているのだ。と、遠く川下の橋を総武線に平行してもう一本、電車がわたっていくのが見えた。暗い川面の闇の中を、電車の窓だけ明るく連なっている。それはまるで糸につながれた真珠のようだった。橋をわたりきると電車はまた、カタタン コトトン陽気に歌いだした。私の頭の中には、ジャンクジュエリーをちりばめた街を、真珠を連ねて走る山手線が浮かんでいた。ぐるぐるぐるぐる回り続ける真珠の光は、静かに深く、りんと輝いていた。
 家に帰ると、取り込んだままの洗濯物の山の横で、彼がごろんと寝ころんでいた。私は、子どもができたことを彼にどう伝えようか考えていた。

(「パール・エッセイ集Vol.3」の作品より)








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