真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

「真珠、真珠」       速水桃子

 今日、大切な人とケンカした。気持ちが伝わらなかった。口惜しかった。泣きたかった。ひどい言葉で、傷つけた。眠ろうとしても眠れずに、まぶたの裏に、嫌な自分が写っている。どうしよう、どうしよう、気持ちがくらくら揺れていた。
 わたしが真珠を思い浮かべるのは、こういう時だ。
 何か辛いことがあると、「真珠、真珠」と唱えてみる。
 どうしても気持ちが伝わらないで、大切な人とケンカをしてしまったとき。はずみで人を傷つけて、たまらなく口惜しい気分になったとき。転んだとき。誰かとさよならしたとき。自分があまりにも子どもっぽくて、嫌になってしまったとき。わたしは必ず、「真珠、真珠」と唱えてみる。
 それを始めたのは、中学三年の、秋のことだ。
 まだ蒸し暑さの残っている、九月の夜だった。わたしの通った中学校は全寮制で、その日は寮の夕礼の日だった。小さなチャペルに集まって、寮長夫人のお話を聞く。友人たちは、めんどくさいよと物憂げに言っていたけれど、わたしはひそかに毎月その日を楽しみにしていた。バイオリンの話、聖書の話、昔々のフランスの話。寮長夫人のお話は、いつも面白く、気が利いていて、優しげだったからだ。
 その頃、わたしは友人とひどい喧嘩をしていた。お互い、理想が高くて、妥協を知らなくて、一番の親友だった彼女とわたしは、何がきっかけだったか、いつの間にかすっかり避けあうようになっていた。膠着状態はもう何カ月も続いていて、変に気が強かったわたしはそれを誰にも言えず、相談できず、ぼろ雑巾みたいにくたびれていた。ああ、もう、家に帰ろうか。寮から逃げてしまおうか。毎晩、そう思っていた。泣くにも泣けず、一人の人に避けられるのがこんなに辛いと、初めて知った。
 そして、その日。チャペルの椅子にくたりと座って半分目を閉じていると、すっと前に立たれた寮長夫人は、こう話し始めた。
 「皆さんは、あの真っ白い真珠がどうやってできるか、知っていますか?」
 寮長夫人は、いつものように、ゆっくりと、柔らかい声で続けた。真珠貝のなかに傷がついたり、何か異物が入ったりしたとき、真珠貝は自分の中から液体を出して、その傷や異物を包み込むのだと。それが、あの美しい一粒一粒になるのだと。真珠貝は、傷を、異物を、真珠に育てあげるのだ、と。
「心の中に一粒の美しい真珠を作り出すとは、どんなことなのか。どうぞ、ひとりひとり、考えてみてください…」
 夕礼が終わり、部屋にかえると、涙がでてしょうがなかった。わたしも、真珠を育てよう、と思った。傷を傷のままで残しておくのはやめよう、と思った。さんざん、さんざん泣いた後、わたしは彼女の部屋のドアを、ノックした。
 その日以来、わたしは真珠を育てている。何かがあると、必ず真珠を思い出す。ひとつ、何かを乗り越えると、ひとまわり、真珠もおおきくなる。そう考えている。
 あれから、もう五年が過ぎた。喧嘩していた彼女とわたしは、違う大学に通う今も、たまに会ってはおしゃべりをする。あの時の喧嘩も、もう、すっかり笑い話だ。真珠の話をしてくれた寮長夫人は、今では寮を離れ、静かに暮らしているという。この前の同窓会で、わたしは彼女の住所を聞いた。 そのうち、彼女に、手紙を書こうと思うのだ。わたしはまだ、あなたの真珠に助けられて暮らしています。あのときいただいた真珠を、育てています。多分一生、育てて行きます、と。
 相変わらず、毎日失敗ばかり。自己嫌悪ばかり。痛いことばかり。まるで成長できないわたし。けれどわたしは、真珠を育てている。少しでも、自分の真珠を育てていきたい。傷を痛がるだけでなく、少しずつ、少しずつ、傷をくるんで、包んで、自分の真珠を育てたいから。
 何か辛いことがあるたび、「真珠、真珠」と唱えてみる。そのたびに、見えるような気がするのだ。まだ、小さな小さな、やわらかな真珠が。
 そして真珠に後押しされて、わたしは、仲直りの電話のベルを鳴らしている。

(「パール・エッセイ集Vol.4」の作品より)








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