真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

真珠のネックレス       河上 輝久

 昭和五十年の秋、持ち金が無かったので少ない費用で私は結婚式を挙げました。式場も質素で新婚旅行も信州でした。友人達はハワイ、グアム、オーストラリア等と海外へ行きましたが、私は妻に頭を下げて信州に同意してもらいました。妻は残念な顔をしていましたが、二人で金を貯めて将来第二の新婚旅行をすることにして納得してもらいました。
 旅行の途中、松本城の近くの貴金属店の前で妻は足を止めました。
「何を見ているんや?」
「あれ!」
 妻の指先はショーウィンドーの中央に置かれた真珠のネックレスを指していました。周りには少し小粒の真珠のネックレスが数点飾ってあり、中央にある真珠のネックレスはなんと二百万円の値札が付いていました。その真珠のネックレスは薄く淡い色で怪しく光沢を放っていました。今まで真珠は真っ白であると思っていましたが、そうではありませんでした。
 婚約指輪は数万円で、妻は何も文句は言わなかったのでしたが、目の前の美しい真珠のネックレスは妻の心を奪っていました。二百万はどう転んでも私には買うことができません。私には十万の金も大金なのです。
「行こう」
 妻の腕を掴んでその場から逃げるように去りました。私は「許してくれ!頑張って二百万円は無理だが、四十、五十万円まで位だったら貯めておまえの気持ちに応えてやるから……」と、心の中で叫んでいました。
 翌年には子供ができ、更につぎの年にも子供ができて、真珠のネックレスは妻への誓いは遠のくばかりでした。毎年毎年、今年こそは今年こそは買おうと思いながら不況のため買えず、私の心は毎日一生懸命に働く妻に済まない気持ちで一杯になっていきました。
 十年もすると少しは生活に潤いが出て、家の中には電化製品が増えていました。ちょうどバブル華やかな頃でした。取引先よりコートのプレス千着の仕事があるがやってみないかと商談があり、金額を聞いてびっくりしました。
「五十万円!……五十万円も」
 私は松本城の二百万円の真珠のネックレスを思いだしました。二百万円には程遠いが五十万もあれば立派な?真珠のネックレスが手にはいる、躊躇なく私は是非やらせてくれとOKの返事をしました。
 千着のコートは家の中を一杯にして戦場になりました。妻は愚痴も言わなく子供達もただ黙って手伝ってくれました。家族のおかげで納品は期限内に無事終え、翌月私の通帳には大金五十万円が振り込まれました。
・ヤッター、五十万円!・
 銀行へ私は飛んで行きました。銀行からおろした五十万円の札束をしっかり握りしめて友人が経営する貴金属店へ走って行きました。
「ここに五十万あるから真珠のネックレス……頼む!」
「ヨッシャ、これどうや。七十五万のやつを五十万で? バーゲンやな」
 あの二百万円のネックレスには程遠いが、小振りで実に美しい、そして怪しい光を放ったネックレスを手にいれました。
 夕食後、赤いリボンを掛けられた縦長の小さな箱を黙って妻に渡すと、
「何くれるの、気持ち悪い……誕生日はまだで」
 私の顔を見ながら小箱を開けました。
「エ……ネックレスを……」
 妻はびっくりして
「あんた、ひょっとして先月のプレスのお金で……」
「黙って、首に掛けてみんかい」
「子どもの学費もいるのに……」
「また頑張ったらええがな」
 下を向いていた妻の肩はしだいに震えてきました。そして大粒の涙を床に落として声を出して泣きだしました。小さな泣き声が大きくなり子供達もびっくりして飛んで来ました。
 長女は
「私も欲しいなア?」
 長男も
「女はええのう」
「お前らは勉強、勉強。向こうへ行け!」
 何ももらえない子供達は不満のようでしたが、泣いて顔をクシャクシャにした妻は私の手を握り
「ありがとう……」
 タンスの奥深く・五十万円の真珠のネックレス・は入って行きました。この日ほどビールがうまいと思った日はありませんでした。
 次は第二回目の新婚旅行?で外国へ行くことを楽しみに毎日仕事に励んでいます。

(「パール・エッセイ集Vol.1」の作品より)








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