真珠パールエッセイ・私の真珠物語
 

燈台       宮本 千里

 久しぶりに山に登った。尾根伝いに歩くと、わずか標高一二〇メートルのその頂に燈台がある。以前は子供たちを連れてよく来たものだ。燈台の周囲には記念事業として桜の木を植えてあるが、花見時に限らず、娯楽施設はない島なので、天気の良いときや主人の仕事の暇なときを見計らっては、一家五人分の弁当を作り、「今日は弁当使いよ」と言う。すると子供たちは承知したもので、農協へジュースと菓子を買いに走る。この島では遠足、ピクニックなど、戸外で弁当を食べることを「弁当使い」と言うが、これは私の好きな言葉のひとつである。
 頂上の燈台を軸にぐるりと一周すると、宇和海を一望でき、遠く九州までも見渡せる。主人は「鳥も通わぬ島」と言うが、なかなかどうして、一幅の絵のような景色である。その絵のような凪の宇和海を見ていると、思い出す事がある。もう十年以上にもなろうか、朝起きると、「今日は日和も良いし、餌を取りに宇和島へ行くぞ」と主人の声。養殖ハマチへの餌である。三人の子供たちにはすぐに帰るからと言って、街にしかない買い物もあるのでと一緒に船に乗り、宇和島に着いたまではよかった。出港時間を決めて私は買い物へ、主人は例によってパチンコ。買い物を済ませ、船のある岸壁まで出てみると、様相は一変していた。
 港内には白波が立ち、鉛色の空からは粉雪が降っている。パチンコでまた負けたのか、重い足取りの主人が、空を見上げながら船まで来て、「どうすりゃ」と船を出すかどうかの判断を私に問う。私に風の音や、雲の早さで沖の状況が分かるはずもないのに。主人は渋々エンジンを始動し、ロープを外して岸壁を後にした。港の外へと、第一波の波が船首を越した。粉雪は吹雪となって、ブリッジから見る前方は白一色。「往きはよいよい、帰りは怖い」と言っていた主人は、顔色を変えて押し黙り、「やめんか」とぽつり。同意の意思表示をするまでもなく、船は弧を描いて、再び港へと入る。
 島で待っている子供たちが気になって、せめて私だけでもと、定期船の桟橋へと行くと、すでに欠航の貼り紙。自分の船で帰る方法しかなかった。仕方なく内港を見渡せるなじみの喫茶店へと入り、人心地つく。主人は熱い珈琲を飲みながら、煙草をくゆらせ、「待てば海路の日和あり」と、子供たちが気にならぬのか呑気である。しかし雲の行方を気に止めながら、新聞をそれとなく読んでいた主人が、「よし今だ」と席を立ち、出港を決めた。
 先程と波は変わらないまでも、雪は降ったり止んだりしている。島までの行程の半分あたりに無人島があって、その島を越えると、波風をさえぎる物は何もなく、ここからが正念場。すでに怖気付いている私が「大丈夫?」と聞くと、「船は滅多なことでは沈まんが、沈むときは簡単に沈む」と、慰めにもならない主人の一言。大きな波が来る度に、エンジンの回転数をスローにする主人と、身構えて足を踏んばる私。いつもの倍以上の時間を費やしたので、もう薄暗くなり始めていて、不安は募るばかりだった。その時、島の形がおぼろ気に見えてきた。そして雪の中から頂にある燈台の灯が見えた。嘉島燈台の光が、私と主人の乗っている船を島へと導く。やっと島に着いた。岸壁には三人の子が震えながら立っていて、無邪気に私の手から土産の紙袋を奪うように取っていく。主人は、舵を持つ右手が一皮むけ、血が滲んでいるのも気に止めず、帰ってきた海を見つめていた。私は、島の頂上にある燈台に感謝しながら、この光と同じ感動を得たことを思い出していた。
 それは、その年の私の誕生日に、主人からもらった真珠の光と同じだったのだ。自治会長を二年間務めた主人に、退職報酬として与えられた全額で主人が漁協の組合長に依頼して買った真珠だった。
 育児に追われて、私でさえも忘れかけていた誕生日に、「おかあさん、おめでとう」と照れくさそうな主人から渡された箱を開けると、思いもかけない真珠のネックレスが入っていた。裸一貫だった主人と結婚し、「愛してる」の甘い言葉さえなかった主人からの唯一の贈り物は、箱の中で私を涙させるに充分な光を放っていた。さらに子供たちも小遣いを出し合ったのか、おもむろに出した箱の中には真珠のブローチ。イミテーションではあっても、子供達の気持ちは、いささかも本物に劣らない。
 あの時化の中での燈台の一条の明かりも、主人と子供たちの贈り物の真珠の輝きも、私に感動と喜び、そして希望を与えてくれた。
 「おい、弁当」私の感傷を断ち切る主人の声で我に返った。
 今は燈台に明かりはない。そして三人の子供たちもいない。主人と二人の弁当使い。
 ただ私の心の宝物の真珠だけは、タンスの中であの日と同じ光を放っているはずである。

(「パール・エッセイ集Vol.4」の作品より)








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