真珠パールエッセイ・私の真珠物語
   

M先生の真珠の首飾り       佐藤 節子

 忘れもしない。あの事件が起こったのは中学一年の五月のことだ。校庭の葉桜を眺められる教室では、父母参観が行われていて、天平美女を彷彿させるM先生が、下ぶくれした頬を上気させて国語の授業を行っていた。決して美人ではないけれど、当時としては大柄で色白のM先生は、新学期初の授業参観日とあってか、日頃はかまわない髪の毛の、サイドと前髪を内巻きにカールさせ、白い丸衿付きのワンピースの首元には真珠のネックレスを決めこんで教壇へ立っていた。
「なあ、見てみ。今日のセンセイ首飾りしとるわ。参観日やいうんで張り切っとんのやな」
 普段はおしゃれとは無縁に思えた先生の突然の変身に、色気付き始めた十二才は口々に囁きあったものだった。
 そんな中で「あの真珠の首飾りは絶対にせものやわ。本物やったら、もっときれいに輝くはずやもん」と、私に耳打ちしたのはK子だった。
 老舗の時計屋(宝石・貴金属も扱っていた)の一人娘で、病弱ゆえにか多少意地悪いところがあって、いつも先頭に立って誰かの陰口をたたかずにはいられない性格の持ち主だった。
 一方、当時の中学生にとっては、改まったお出掛けでもないのに、その日M先生が首飾りを付けていること自体が最大の関心事で、その白い珠の真贋などには全く興味がなかったのである。だが、時計屋の娘K子が執拗に「真珠ニセモノ説」を主張するのには、彼女なりの確信があるに違いない・・・・・・・・・と言うわけで、ついに”M先生の首飾りはニセモノ真珠”のメモ書きが、一瞬のうちに手から手へと渡り、クラス全員に行き渡ったのである。さてそうなると、クラス全体がざわめき立ち、もはや三好達治の詩どころではなくなったのである。
 と、そんな時である。こともあろうにM先生の首飾りが、何の前ぶれもなく突然パラパラッと教室の床にこぼれ落ちたのだ。それはまさに、K子の呪縛がその首飾りに乗り移りでもしたかのように、ほの白い珠は花びらとなって、一瞬のうちに散り果てたのであった。
 父母が互いに顔を見合わせ、まさに今自分たちの目前で起きたハプニングに呆然とするなか、「失礼」とM先生は静かに教壇を降り、大柄な体をかがめて首飾りの一粒一粒を拾い集め始めたのだ。ごくごく自然体に-。
 その時になって初めて、生徒の何人かが弾かれたように机の下にもぐりこんで大豆粒ほどの白い珠を拾い集めだしたのである。もちろん私も机の下に入りこんで足元に転がってきた一粒を拾い上げたのであった。とその時である。椅子に腰かけたまま超然と珠拾いの様子を眺めていたK子が、獲物に飛びつく猟犬のように猛然と私の拾い上げた一粒をもぎ取るや、いきなり口の中に放りこんだのである。あぜんとする私に、K子はニヤッと笑って「こうして珠を歯でかんでみると、本物の真珠かどうかわかるんや」と囁いたのであった。
 それからややあって、K子は口の中から先程の珠をつまみ出し私の手に渡すや、勝ち誇ったように「やっぱり私の言うた通りや。先生の真珠の首飾りはニセモノやわ」と私に耳打ちしたのであった。
 一方、授業を中断しての珠拾い騒動が終わるやM先生は、父母と生徒に向かって深々と一礼し、それからゆっくりした口調で「私ごとで授業中にご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした。実は、このネックレスは戦死した父と戦災で亡くなった母からの唯一の形見の品でして、私にとりましては父母を偲ぶよすがの品物ですもので、一粒たりともなくす訳にはまいりませんでしたから」と語ったのである。
 そしてその後は、父母や生徒のざわめきをよそに、まるで何事もなかったかのように教壇に立ち、三好達治の授業に戻っていったのである。しかし、この日のM先生の授業は、単に父母達を前に緊張しているのとは少し違う、何かこう、亡き両親に向かってのひのき舞台上の自分の教員ぶりを披露するかのような、一種気迫と情熱が感じられる凄味あるものであったのだ。もはや私にとっては、先生の首飾りの真珠が本物であれ偽物であれ、それらは一切問題でなくなるほどの熱気あふれる、濃い内容の授業に思えたのである。
 つまり、大勢の父母の集まる参観日にこそ両親の遺影がわりの首飾りと共に教壇に立ちたいと願ったM先生の気持ちに、私は深い感動を覚えたのであった。
 やがて成人し、結婚し、私も人並みに真珠のネックレスを手に入れたのだが、真珠の首飾りを身につける度に、あの日のM先生の凛然と、しかし優雅に輝いていた授業参観日の態度と表情をゆくりなくも想い出し、彼女のように内面的にも真珠の似合う本物の女性になりたいと願うのである。

 

(「パール・エッセイ集Vol.4」の作品より)




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