真珠パールエッセイ・私の真珠物語
  母と真珠        高取 ちづる

 母は参観日の日には誰のお母さんよりも早く、学校に来た。教室の後ろを見なくても母が来たことはすぐにわかった。
 わたしの母はとても太っていたので、ギャングエイジの男の子達にとっては格好のえじきだった。いつも母が教室に汗をふきつつ入って来た瞬間クスクス笑いが起こり始め、席の近くの子は、うつ向いて気がつかないふりを必死でしている私を笑いながらこづいた。女の子達もあちこちでひそひそ話をしては横目で私を見たし、何かもめ事などあった日には、何の関係もない場面で、あんたのお母さんってブタやなあという言葉を武器のように使われた。私はそんな時何も言い返せなくなった。
 母は何か大切なお出かけの時は、いつも真珠でできたすずらんのブローチをつけた。母が太って大きかったせいか、そのブローチはとても小さく可憐に見えた。いつの参観日を思い出しても、その真珠のすずらんは母の服の襟元にあった。
 母は若い頃から雑貨屋をやっており、店番の手が離せなくて私をかまってやれないことを申し訳なく思っていたらしい。その日ごろの罪ほろぼしなのか、参観日には特別早く出かけることに自己満足していると思っていた。
 小学校も高学年になると、太っている母のことをからかわれるのがイヤでたまらなくなって、そんなに早く来なくてもいいよと何度も言ったが、母は私の言葉などおかまいなしに真珠のブローチをつけていそいそとやって来た。中学生になり反抗期になってもそれは変わらなかった。けっこう日常のことではキツい言葉もぶつけたが、恥ずかしいから学校に来るなと、喉もとまで出かかることが何度もあったけれど、母を傷つける勇気がなくてそれだけは言わなかった。
 その後、高校も大学も親元を離れて過ごしたので、長い間、参観日の母を思い出すこともなくなり、その後、嫁いで十五年が過ぎた。
 自分の娘も小学五年生になった今年の夏休みに帰省した時、母の古びた小さな鏡台の引き出しの中に、すずらんのブローチがセピア色になってちょこんといるのを見つけた。十年前に脳血栓で足が不自由になった母は、外出がとてもおっくうになり、真珠のすずらんも長い間、出番がなかったようである。
 私もあの頃の母と同じ年代になったのかと思いながらブローチを手にとった。娘も私と同じ思いを胸に秘めているのかもしれないが、今の私は母の気持ちが痛いほどわかった。
 ああ、あの時、「おかあさん、恥ずかしいから学校に来んといてよ」なんて言わなくてよかった。私のことを世界中の誰より愛してくれたおかあさんを傷つけなくて本当によかったよと、真珠のすずらんに心の中で話しかけた。
 
(「パール・エッセイ集Vol.2」優秀賞の作品より)








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