真珠パールエッセイ・私の真珠物語
  新・真珠伝説        高杉 智子

 「母が付けていた真珠のネックレスを譲り受けた娘は、幸せになれる」
 どこかにあるかもしれないけれど、これは、私がつくった出典不明の伝説だ。
 短大の卒業式、親友が真珠のネックレスをしていた。
「わー素敵。卒業プレゼント?」
「ええ、母が若いときに使っていたものなの。母もおばあちゃんからもらったんだって。」
 その親友の結婚式。別の友人が、やはり真珠のネックレスをして現れた。
「ふんぱつした?」
「ううん。お母さんにもらったの。二十五才の誕生日に」
 私の母は、真珠のネックレスを持っていない。いくらぐらいするものなのだろうか…。貧しくはないけれど、裕福でもなく、やや吝嗇(りんしょく)ぎみの両親の元で育った私は、友人たちが少しうらやましかった。
 ある日のこと、三十をとうに越えた私に、母が封筒を渡しながら言った。
「あなたに真珠のネックレスを買ってあげたいって、ずいぶん前から思っていたの。どんなのがいいかわからないから、自分で買いなさい」
封筒の中身は、十万円のお金だった。
 私はすぐにデパートに出掛けた。しかし、十万円で買えるものに、気に入ったものはなかった。可愛らしいアクセサリー的なものはいくらでもある。けれど、たぶん母が私に贈りたいものとは違うだろう。
 そこで、私はジュエリーデザイナーの友人に相談した。
「できるだけ大きな粒で、珠のいいもの。一番シンプルなデザイン。予算は十万円。」
友人は、私の期待以上のものを探してくれた。しかも、とても有名なブランドで。
 この時、私にはすでに、ある考えがあった。まず、このネックレスは母に付けてもらおう。きっと、これまでお洒落の余裕などなかった母に。そして何か機会があったら、ゆくゆくは譲り受けよう、友人たちと同じように。
 私は、両親とは離れて暮らしている。そして宝塚の実家は、阪神大震災の時に全壊した。今では住まいも新しく建て直り、すっかり以前の生活を取り戻しているが、昨年の春は、まだ仮住まい中だった。
 昨年の母の日、私は自分でつくった伝説とともに、母に真珠のネックレスを贈った。こんな高価なものはもらえないという母を説得させるためだ。
 全壊したマンションが新しく完成した祝賀パーティーの席、私が贈ったネックレスは母の胸元に輝いていた。満面の笑顔とともに。そして、祝いに駆けつけた親戚たちに母がうれしそうに話をし出した。
「娘がプレゼントしてくれたの。母親が付けた真珠のネックレスを譲り受けた娘は、幸せになれるんだって。」
 娘を持つ叔母たちは、とてもいい話を聞いたとばかりに目を見開いて頷いていた。ちょっと困ったな、と私は思ったのだが……。しかし、これで母親に真珠を贈る娘やら、母親から真珠のネックレスを譲り受ける娘が増えるなら、それはそれで、よいことなのではないかと。何より、私の母がこの上なく喜んでくれているのだからと。
 
(「パール・エッセイ集Vol.5」優秀賞の作品より)








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